甲信越

信州の名城を訪ねて 現存天守の残る 国宝 松本城

クラブツーリズムのツアーに便乗、松本城、松代城、上田城と「信州の名城を訪ねて(日本100名城)」という企画の旅に出た。数回に分けて紹介する。岐阜県中津川市・恵那市・瑞浪市の市街地は、盆地の形でほぼ西南西-東北東方向に並んでいる。この盆地と山...
甲信越

中町通 縄手通り商店街散策

ホテルチェックイン前のわずかな時間に松本市街の一部を散策した。夕暮れ前で画像が暗く不鮮明であることをお断りします。松本の湧水は有名だ、市街地の湧水は「まつもと城下町湧水群」として、環境省の「平成の名水百選」に認定されました。市内のいたるとこ...
甲信越

日本最古の小学校 旧開智学校

旧開智学校(きゅうかいちがっこう)は、長野県松本市にあった旧制小学校で、日本で最も古い小学校のひとつ。あかの街備中吹屋で紹介した「高梁市立吹屋小学校」で2012.3.20卒業式と閉校式が行われた。岡山県にはもう一つ有名な古い学校がある旧遷喬...
東海

木曽川の畔にたたずむ後堅固の城 犬山城

木曽川を背に建つ、国宝犬山城は兵法に言う「後堅固(うしろけんご)の城」です。標高80mの平山城だが、旧城下町からの眺めは もっと高く、崇高に見えます。その後方は断崖と川。兵法に言う、「後堅固の城」なのです。そして日本100名城の一つでもあり...
東海

信長天下統一への夢の始まり 小牧山城

永禄3年(1560)、桶狭間で今川義元を討った信長は、三河の松平元康(後の徳川家康)と同盟を結び、美濃の斉藤道三を次の攻略対象としました。そして永禄6年(1563)、信長は頂上から美濃方面を一望でる小牧山に城を築き、清州から居城を映しました...
東海

秀吉と家康が唯一本気で対決した「小牧・長久手の戦い」

この戦いで、秀吉は家康を完全に屈服させることに失敗し後に禍根を残すこととなる。また、北条、伊達もこの戦でその後が決定してしまった感がある。発端は「本能寺の変」、信長後の覇権争いの最終戦がこの地長久手で行われたことになる。幸い付近は公園として...
四国

河野水軍伊予統治の拠点 湯築城

湯築城は湯の街道後のど真ん中にあるがあまり知られていないのでは、しかも100名城の一つなんです。しかし、踊念仏で有名な一遍上人が河野一族の出とは迂闊にも知らなかった。湯築城は、建武年間頃に伊予の守護・河野通盛が築いたといわれている。元々、河...
四国

肱川の清流に姿を映す景勝の城跡 大洲城

日本100名城の一つ。別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがある。江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また...
四国

築城名人藤堂高虎を代表する海城 今治城

日本100名城の一つ。構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。日本三大水城の一つに数えられている。城内に通じる土橋。鉄御門と武具...
四国

現存天守がそびえる巨大な山城 松山城

日本100名城の一つ。別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。関ヶ原の戦いで徳川家康側についた加藤嘉明が戦功によって10万石を加増され、海抜132m、周囲4kmの勝山(味酒山・みさけやま)を切り開き松山城を築城した。松山市の中...
四国

築城名人・藤堂高虎会心の名城 宇和島城

日本100名城の一つ。宇和島は、ごく最近まで、日本国の街道のゆきつく果てと言われた。今でもJRのレールは宇和島駅で終わっている。現在見られる、天守などの建築は伊達氏によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時...
大阪府

猪伏山 千亀利城と呼ばれた岸和田城

岸和田城は猪伏山(いぶせやま)と呼ばれた小高い丘の上にあり、本丸と二の丸を合せた形が、機の縦糸を巻く器具「縢」(ちきり)に似ていることから蟄亀利城(後に千亀利城)と呼ばれるようになった。城内にある岸城神社は千亀利と「契り」とをかけて、縁結び...