森鴎外記念館

森鴎外記念館は、独立した鴎外の専門的な記念館としては世界で初めてのもの。
記念館は国指定史跡・森鴎外旧宅の南側に隣接し、鴎外旧宅を展示物の一部として取り込んでいる。

森鴎外が10歳まで住んでいた家。
森家は、代々津和野藩の御典医をしていた。

森鴎外旧宅
1872年(明治5年)、廃藩置県等をきっかけに10歳で父と上京。
再びこの家には帰る事がなかった。

東京では、官立医学校(ドイツ人教官がドイツ語で講義)への入学に備え、ドイツ語を習得するため、同年10月に私塾の進文学社に入った。

その際に通学の便から、政府高官の親族西周の邸宅に一時期寄食した。
翌年、残る家族も住居などを売却して津和野を離れた

旧宅の庭にある「鴎外先生詩碑」。

祈念館の前庭は海をイメージしていて、波と石とをモチーフのオブジェが置いてあります。

ほのかな日差しがさしこむシェードガラスのエントランスを抜けると、しばし鴎外について夢をめぐらす小さな旅の始まり。

鴎外ゆかりの松
鴎外がここを通るときこの松を触っていたので、この松を触ると頭がよくなると言い伝えられてきたとか・・・
昭和初期に倒れてしまい、町民の方が大切に保管していたものをH16年に町が譲り受けたとのことです。

第1展示室は軍医としてそして文学者として二生を生きた鴎外が、10歳で上京したところから始まり、60歳でその生涯を閉じるまでを映像や著作、遺品、直筆原稿など豊富な資料で紹介しています。

記念館の裏手から見える風景が説明されている。

鴎外が見た津和野。

藩校「養老館」と津和野出身の先達・偉人。

森鷗外の遺言
死に及んで「石見人森 林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言を残して、大正11年7月9日に永眠しました。 
享年60歳。

静かな佇まいを見せる記念館の廊下、外は津和野川が流れ散策路がある。

記念館の裏手から津和野川を介して山上を見上げれば、僅かに津和野城の石垣が見える。
西周の旧宅はもう少し西にある。

庭には鴎外の銅像がありました。
森鴎外は、軍医、帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)、小説家、評論家、翻訳家、本名、林太郎(りんたろう)、別号、観潮楼主人、千朶山房など。

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森鴎外記念館へのアクセス、行き方歩き方

住所:島根県鹿足郡津和野町町田
tel:0856-72-3210 fax.0856-72-3307

JR津和野駅→石見交通バス鴎外旧居・長野行きで7分、バス停:鴎外旧居前下車、徒歩3分