大阪市中央公会堂へ向かいます、コロナ 水際対策緩和で外国人旅行客増加で水上交通も俄に活気を帯びています。
「こども本の森中之島」(安藤忠雄氏が大阪市に寄附)。
安藤さんは、近代米国の詩人サミュエル・ウルマンが70代で作った「青春の詩」からオブジェを着想、安藤さんの建築の建物には大概青いリンゴがある。
安藤は大病で療養生活を送った折に読書する時間を得たことで、子どもが本と触れあう場所を作ることを着想した。
建物の設計も安藤が手がけている。
蔵書の貸し出しは行わない代わりに、館内および公園内全てを閲覧スペースとしている。
開館時の蔵書(約1万8600冊)には市民から寄贈された本も含まれる。
大阪・中之島公園の一角に、温度計と時計の機能を兼ね備えた円錐形のオブジェが設置された。
高さ3メートルの対になったガラスのコーンは、「地球の体温計」と名付けられ、上昇を続ける地球の体温を可視化する意図が込められた。
青色のLEDが上下することで気温を表示する。
「地球はひとつ。気温を視覚化することで、年々暑さが増す地球規模の環境に意識を向けながら、50年後、100年後も人々に愛され、この地に残り続けてもらいたい」と建築家の安藤忠雄は述べた。
大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、1911年(明治44年)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円(父親の遺産50万円に自分の手持ち財産を加えたもの。
現在の価値で数十億円)を寄付したことにより、1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まった。
「北浜の風雲児」と呼ばれていた株式仲買人・相場師の岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さやアメリカの富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い感銘を受けた。。
帰国後、岩本栄之助は父の遺産と自分の私財を併せた100万円を地元の公共施設建設に寄付することを決めた。
当時、大阪の中之島は、蔵屋敷の廃止後、町が衰退しその後の町の将来ビジョンをどうすべきか検討中であったので、岩本の寄付金はその町の中心シンボルとして「中央公会堂」の建設に使われることに決まった。なお、「中央公会堂」の所在地は浜田藩の蔵屋敷跡になる。
設計デザインは、「懸賞付き建築設計競技」(最終的に13名が参加)により、当時29歳だった岡田信一郎のデザイン案が1位に選ばれ、その岡田のデザイン原案に基づいて、辰野金吾・片岡安が実施設計を行った。
辰野金吾は東京駅の建築家でも知られる。
1913年(大正2年)6月に着工、1918年(大正7年)11月17日に中央公会堂は完成し、オープンする。
一方、株式仲買人の岩本栄之助は第一次大戦による株式相場の大変動で大きな損失を出す。
周囲の人々は、大阪市に寄付した100万円を少しでも返してもらうように勧めるが、栄之助は「一度寄付したものを返せというのは大阪商人の恥」としてこれを拒否。
1916年(大正5年)10月、中央公会堂の完成を見ないままピストルで自殺した。(享年39歳)
鍛造による部材構成。
部材は全てピン接合。
その状態が見えるように塗装していない。
特別室に入るとまず目に飛び込んでくる壮大な天井画!!
日本神話から「天地開闢(てんちかいびゃく)」の様で高天原に生まれた三柱の神。
天井画は、日本神話に登場するイザナギとイザナミが国づくりのために用いる天沼矛を授かる場面。
北側の壁には商業の神としてスサノオノミコト、南側の壁には工業の神としてフトダマノミコトが描かれています。
これは商業都市として繁栄をとげた大阪にちなんだものです。
そして何といっても扇形の窓いっぱいにほどこされたステンドグラスの華やかさ!
使われているガラス片は5,162枚に及ぶとのこと。
見事なステンドグラス!中央円部分の四隅のリボンのような紋様が大阪市の市章である「みおつくし」になっています。
凸レンズがたくさん使われています。これは部屋の隅々に光を拡散させるためだそうです。
扉の模様も描かれているように見えて、実は色の異なる木を模様に切り出しはめ込むという木工象嵌(もっこうぞうがん)という技法が用いられています。
前回の訪問記
大阪市中央公会堂
大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、1911年(明治44年)、株式仲買人で … 続きを読む →
大阪市中央公会堂は日本有数の公会堂建築であり、外観、内装ともに意匠の完成度が高く、日本の近代建築史上重要なものとして2002年(平成14年)12月26日、国の重要文化財に指定された。
赤煉瓦ネットワーク(東京大学生産技術研究所教授・藤森照信氏ら監修)による「20世紀 日本赤煉瓦建築番付」にて、広島県にある江田島旧海軍兵学校生徒館、福岡県にある今村天主堂と共に、西の横綱に選ばれている(東の横綱は、東京駅や富岡製糸場など)。
横浜開港資料館日本赤煉瓦建築番付でも、京都国立博物館と共に、西の横綱に選ばれている。
栴檀木橋(せんだんのきばし)
江戸時代の初期、土佐堀川を渡って中之島にあった蔵屋敷へ行き来するために架けられたと考えられる橋。
橋筋に栴檀の大木があったところから、この名が付けられたという。
明治18年(1885)までは木橋のままだったが、大洪水で流出。
しかし付近に大阪図書館(現在の中之島図書館)や大阪市庁舎の建設が決まったため、大正3年(1914)に再び架けられた(その後、昭和10年1935にも架け替えられている)。
現在の橋は、昭和60年(1985)に架け替えられたもので、旧橋のイメージを大切にしながら、橋面などは中之島図書館や中央公会堂など背景にある歴史的建築物との調和を重視したデザインとなっている。
橋詰にその由来を伝える碑や大正時代の親柱、先代の橋の橋名板、センダンの木のレリーフなどが展示されている。
「緑の賛歌」は、彫刻家「本郷新」の作品で、1973年に大阪市の緑化運動に協力して、浅井鉞次郎氏が寄付したブロンズ像。
1973年4月16日に除幕式が行われた。
アクセス
地下鉄御堂筋線「淀屋橋」駅下車1番出口から徒歩約5分
京阪電鉄「淀屋橋」駅下車18番出口から徒歩約5分
京阪電鉄中之島線「なにわ橋」駅下車1番出口すぐ
ライトアップ時間
3~4月 19時~23時
5~8月 19時30分~23時
9~10月 18時30分~23時
11~2月 18時~23時
時間帯は予告無く変更することもあります。
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