大阪市中央公会堂

大阪府


大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、1911年(明治44年)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円(現在の貨幣価値にしておよそ数十億円とも)を寄付したことにより、1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まった。

特別室に入るとまず目に飛び込んでくる壮大な天井画!!

日本神話から「天地開闢(てんちかいびゃく)」の様で高天原に生まれた三柱の神。

伊邪那岐に天沼矛を授けようとする天津神。

堀江を開削し 茨田堤(まむたのつつみ)を築き、高津宮を難波に造営した仁徳天皇。
画は 仁徳天皇が 淀川の治水工事の関して臣下から説明を受けているところだろうか。

北浜の風雲児と呼ばれた相場師・岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さや富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い印象を受けた。

彼は父の遺産と私財をあわせた100万円を公共施設建設に寄付することを決め、蔵屋敷の廃止後衰退し再生を模索していた中之島に公会堂を建設することにした。

見事なステンドグラス!中央円部分の四隅のリボンのような紋様が大阪市の市章である「みおつくし」になっています。

このリボン、実は大阪の市章「みおつくし」をモチーフにしたデザインなのだそう。

「みおつくし」とは、船の航路を示す目印として海に立てられた杭のことで、川が多いため水の都と言われた大阪市が、明治時代に市章として採用したものです。

扉の模様も描かれているように見えて、実は色の異なる木を模様に切り出しはめ込むという木工象嵌(もっこうぞうがん)という技法が用いられています。

このような技術者はもういないという。

このカーテンは建設当時の物を復元したもので、図柄は「四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)」と言い法隆寺に伝わる国宝から取っているそうです!

四騎獅子狩文錦は1400年以上むかしササン朝ペルシャで流行した文様である。
この錦はササン朝ペルシャで製作されシルクロードを通って隋朝の中国にもたらされたかまたは中国でペルシャ人織工によって織られたかまたはペルシャ織を学んだ中国人染工、織工によって中国で製作されたのだろう。

いずれにせよ遣隋使小野妹子が日本に持ち帰り厩戸の皇子( 聖徳太子 )に献上した。

太子は行啓(ぎょうけい)の際、この錦を御旗とした。

隋、唐の文明も 西域の影響を受けていた。

この大理石の床には所々に化石も見られます。

なによりも一枚一枚タイルが敷き詰められているように見えますが、実は大きな石一枚に筋を入れて9枚のタイルに見えるよう細工されているそうです。

この部屋はツァーの対象外、何か催しの準備中。

地上3階地下1階建ての建築内部は階段部分のみ吹き抜けになっていて、手すりのレリーフなども凝ったデザインが施されています。

また地下一階展示室北側の階段脇には、創建当時、地中に打ち込まれた松杭も保存展示されています。

通常時のガイドツアーは要予約で月に5日ほど設定日があります。

コースは、特別室と展示室や地下一階の見所を案内してもらえる30分ほどのベーシックコース(500円)と、地下1階のレストランでのランチ付きスペシャルコース(2000円)の2種類。
どちらも公会堂オリジナルグッズのお土産付き。

大会議室の緞帳が廊下の壁に保存されている。

この緞帳は五代目で1968年公会堂の建設50周年記念に造られた。
そごう百貨店、日本生命によって寄贈された。

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