吉備津神社

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吉備津駅を降りて東へ歩くと、松並木が500mつづく吉備津神社の表参道に入る。

多くの松並木が、松くい虫で消えていく中で、大切に保護されている。

参道の朱塗りの欄干が、いろどりを添えている。

表参道の入り口は、旧山陽道と結ばれていて、西には板倉の宿があった。
江戸時代には、宮内地区は、吉備津神社の直轄地で、神社の繁栄とともに門前町としてにぎわったそうである。

吉備津神社は備中国一宮。
旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

「吉備津彦神社」とも称したが、現在は「吉備津神社」が正式名。

画像は1の鳥居。

岡山市西部、備前国と備中国の境の吉備中山(標高175メートル)の北西麓に北面して鎮座する。

吉備中山は古来神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。
当社と吉備津彦神社とも、主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀する。

置岩

吉備津神社内にある、大吉備津彦命が温羅(うら)との戦いのときに射た矢を置いたとされる岩。

吉備津神社には祭神である大吉備津彦命が、鬼ノ城に住む温羅を弓矢で退治したという伝説にちなんだ、矢を放って魔を祓い、国家安泰・五穀豊穣を祈る「矢立神事」があります。

本来は吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。

この事から備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る。

足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。

また社殿3棟が国の重要文化財に指定されるほか、特殊神事の鳴釜神事が有名である。

当地出身の政治家犬養毅は、犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬したという。

神池の畔に犬養毅の銅像が建てられ、吉備津神社の社号標も同人の揮毫になる。

北随神門

室町時代、天文11年(1542年)の再建。
単層入母屋造檜皮葺。

神社正面からの参道途中に建てられている。
国の重要文化財に指定されている。

大吉備津彦命

第7代孝霊天皇の第三皇子で、元の名を「彦五十狭芹彦命(ひこいせさりひこのみこと、五十狭芹彦命)」。

崇神天皇10年、四道将軍の1人として山陽道に派遣され、弟の若日子建吉備津彦命と吉備を平定した。
その子孫が吉備の国造となり、古代豪族の吉備臣になったとされる。

「吉備津神社」の本殿は比翼入母屋造という「吉備津神社」のみでしか見らない様式。

比翼入母屋造りとは、入母屋の屋根を前後に二つ並べ同じ高さで繋ぎ一つの大きな屋根にまとめたもので、全国でも唯一の様式であることから「吉備津造(きびつづくり)」とも呼ばれ、国宝に指定されています。

拝殿は本殿と同時に造営され、桁行(側面)三間、梁間(正面)一間妻入りで、正面は切妻造、背面は本殿に接続。

正面と側面には裳階(もこし)を設ける。
屋根は本殿と同じく檜皮葺だが、裳階は本瓦葺きとする。

これら本殿・拝殿は、合わせて1棟として国宝に指定されている。

回廊

戦国時代、天正年間(1573年-1591年)の造営とされる。
総延長398m。
岡山県指定文化財に指定されている。

本殿と並びひときわ存在感があるのが、岡山県指定重要文化財に指定されている全長360mに及ぶ「廻廊」。

天正7(1579)年に再建された「廻廊」の美しく波打つ全景は、どこから撮っても画になるおすすめの撮影スポット。

「廻廊」の途中には、商売繁盛の神様を祀る「えびす宮」があり、毎年1月9日~11日に行われるえびす祭には、縁起物を求めるたくさんの人でにぎわいます。

「えびす宮」


御釜殿

江戸時代、慶長11年(1606年)の鉱山師・安原知種による再建。
単層入母屋造の平入で、本瓦葺。
南北に伸びた長方形で、北二間に釜を置く。
金曜日を除く毎日、特殊神事の「鳴釜神事」が行われる。
国の重要文化財に指定されている。

内部は以前は撮影できたのですが、撮影禁止となっている、残念に措置だ。

御釜の鳴り具合によって吉凶禍福を占うという神事であり、その霊験は少なくとも室町時代には天下に有名であり、江戸期の怪奇小説『雨月物語』にも登場します。

2014年にNHKで放送された大河ドラマで注目された黒田官兵衛もここで吉凶を占ったことを伝える書簡が残されています。

この吉備津彦命が祀られている吉備津神社なのですが、御祭神の大吉備津彦命は、実は温羅なのではないかとの説が存在。

というのも温羅というのは、朝鮮半島の百済(くだら)国の皇子で、この地に製鉄技術をもたらした人物と言われているのです。

吉備津神社から10kmほど北西にある、温羅が住んでいた「鬼の城(きのじょう)跡」は朝鮮式の城。

吉備の人とも友好的で、次第に人望を集めていきましたが、吉備国の製鉄技術を恐れた大和朝廷が吉備国に侵略。

温羅を捕縛・殺害したことによる民の不満を和らげるために、神として祀りました。
しかし事実を正当化するために、温羅を鬼のような悪者に仕立てあげたのだと…。

古代の日本においては史実を書き換え、正当化することが行われていたと言います。

もちろん今では真相はわかりませんが、この吉備津神社が古代の謎に満ちた神社であることは間違いないでしょう。

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吉備の中山

境内後方の吉備の中山には多くの古墳や古代祭祀遺跡が残り、古くより神体山として信仰されたと考えられている。

中央の茶臼山(160m)山頂には大吉備津彦命の墓とされる古墳があるほか、最高峰の竜王山(北峰、標高175m)山頂には吉備津彦神社が祀る磐座がある。

社殿前の右手に、まるで地中から這い出てきたような姿の松の大木があり、池の上を這うように大きく枝を張り出している。 

老木の松は、幹周りが約2.4メートルと太く、樹高約2メートルで水平に生育していて、迫力のある黒い幹と大きく広げた枝ぶりが実に見事だ。

今日は申し分ない秋日和できれいな空が広がっている。

今日はZ6のテストも兼ねている。
レンズは24-70mm f/4ボケが美しい。

逆光でフレアを出そうと試みたが、フレアはめったに現れなかった。

宇賀神社の後方に見える寺院は普賢院。

今日は倉敷美観地区、岡山城には寄らず。

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