旧嵯峨御所大覚寺門跡

京都府
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嵯峨野の北東に位置するこの地には、平安時代初期に在位した嵯峨天皇が離宮を営んでいた。

臥龍の松

地を這うように松が生い茂っており、非常に美しい。

嵯峨天皇の信任を得ていた空海が、離宮内に五大明王を安置する持仏堂の五覚院を建て、修法を行ったのがそもそもの起源とされる。

画像は表門天井

江戸時代初期 木造切妻造本瓦葺

その後、嵯峨天皇が崩御してから30数年後の貞観18年(876年)、皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が離宮を寺に改めたのが大覚寺である。

嵯峨天皇には孫にあたる淳和天皇の皇子の恒寂(ごうじゃく)入道親王を開山(初代住職)とした。

北山杉が壁に影を落とす。

応仁2年(1468年)、応仁の乱によりほとんどの堂宇が焼失する。

天文3年(1534年)からは東山にある安井門跡蓮華光院の門跡を兼帯するようになった。

天文5年(1536年)、木沢長政により放火されて堂舎が炎上している。

天正17年(1589年)に空性が門跡になってから復興にとりかかり、寛永年間(1624年 – 1644年)にはほぼ寺観が整えられた。

「女ひとり」という歌があった、永六輔作詞、いずみたく作曲、デューク・エイセスが歌ったご当地ソング。

「にほんのうた」シリーズの一曲で、京都府を舞台とした楽曲。

1965年に制作され、ヒットした。福岡県を舞台とした「ぼた山」との両A面シングル(東芝レコード TP-1117)として発売された。

歌詞には、京都の三千院、高山寺、大覚寺の三つの寺院が登場する。

村雨の廊下

宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている回廊を稲光(いなびかり)にたとえ「村雨の廊下」と呼ばれる。

高貴な人が通られる際の防犯の意味で、天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られている。

床は鴬(うぐいす)張りとなっている。

嵯峨菊は、嵯峨天皇がその気品ある姿と香りを好まれ、この独特の古代菊を、永年にわたり王朝の感覚を持って育成し、一つの型に仕立て上げられた風情と、格調をかねそなえた菊が大覚寺「門外不出」の嵯峨菊。

この菊の仕立ては一鉢に三本仕立てとし、長さは約二メートルに育成。

これは殿上から鑑賞されるために高く育てているのです。

嵯峨菊は、嵯峨天皇がその気品ある姿と香りを好まれ、この独特の古代菊を、永年にわたり王朝の感覚を持って育成し、一つの型に仕立て上げられた風情と、格調をかねそなえた菊が大覚寺「門外不出」の嵯峨菊です。

以前の映像大覚寺の嵯峨菊展2016

毎年大覚寺の境内にて11月1日~11月30日の1ヶ月間開催され、大覚寺で栽培され … 続きを読む →

今年も展示が予定されている。

日 程:令和3年11月1日(月)~11月30日(火)

時 間:9時~17時(16時30分受付終了)

勅使門

江戸時代・嘉永年間の再建で門は四脚門とし、屋根は切妻造り、正面および背面に軒唐破風を付け全体は素木造りだが唐破風の部分のみ漆を塗り、金鍍金の飾り装飾を施している大きな菊の御紋をいただいたすばらしい門。

伝統的な建築を表現するにはやはり色が邪魔になる。

モノクロで仕上げてみた。

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