朝の街 住吉大社


朝の清々しい光の中、若い神職が拭き掃除をしている。

この時間帯人のまばらな境内は静寂が支配している。

五所御前は、住吉大神が降臨した聖地。

神功皇后は、この地の杉の木に白サギが3羽とまるのを見て、住吉大神を祀ることにしたのだという。
 
5月初卯の日には、卯之葉神事が執り行われる。

玉垣内の敷かれた砂利の中から「五」・「大」・「力」と書かれた石を見つけてお守りにすると心願成就の御利益が得られるという。 

古式床しく 卯之葉神事 住吉大社
住吉っさんがこの地に鎮座したのが、神功皇后摂政11年(211)の卯年の卯月の卯日 … 続きを読む →



住吉大社の一寸法師伝説 | きままな旅人

一寸法師の話は室町時代に作られた「御伽草子(おとぎそうし)」の中にあるが、二人が願をかけた神社が大阪の住吉大社なのです。 話の最後は「住吉大社に誓いをたてれば、将来、必ず栄える」という内容の言葉で結ばれている。 住吉大社の …

現在、大海神社は住吉大社の「摂社」とされているが、もともとは「大海神社」の方が先に鎮座していたという。

というのも、住吉大社の祭主「津守氏」の氏神だからである。

『玉葉』承安4年(1174)12月6日条によれば、大海神社神殿は天仁・長承・仁平・承安とおよそ20年ごとに改築が行われたことが記されています。

本殿の神額、住吉鳥居の向こうに扉絵、扉絵は金箔張りで松と住之江を千石船が走る様子が描かれています。

海幸山幸の神話は、誰もが一度は聞いたことのある物語です。

「兄の海幸彦は海で漁をし、弟の山幸彦は山で狩猟をして暮らしていました。

ある日、兄弟は釣り針と弓矢を交換して海幸は山へ、山幸は海へ出かけましたが、弟は魚に釣り針をとられてしまい、代わりのものを作って返しましたが、兄は許してくれません。

途方にくれ山幸が海辺にたたずんでいると塩椎(しおつち)神が現れ、山幸を小船に乗せ海神(わたつみのかみ)の宮殿に行かせました。

そこで海神の娘豊玉毘売と出会い結ばれました。

幸せな3年間の生活が過ぎたころ、山幸彦はふと釣り針のことを思い出し、海神の助けを得て鯛の喉から釣り針を見つけ出し、ワニの背に乗って地上に帰りました。

そして海神に授けられた潮を操る霊力を持つ塩満(しおみつ)珠と塩乾(しおふる)珠の呪力によって兄を屈服させました。

異界に出かけてその世界の神の娘を妻とし、異界の呪物を手に入れて地上に戻り、兄を服属させるという展開は、九州南部に勢力を張り長く王権に従わなかった隼人(はやと)を海幸彦とし、それをヤマト朝廷側の山幸彦(=ホホデミノミコト)が屈服させる。

すなわちヤマト朝廷が隼人族を支配することの起源神話となっています。

『古事記』の神話はここで終わり、ホホデミノミコト(山幸彦)の孫、初代天皇の神武天皇が即位し、物語は神々の時代から人の時代へと移り、天皇家の歴史物語が始まります。

生根神社、祭神について『摂津名所図会』や『住吉名勝図会』では少彦名命とする一方、『神名帳考証』では活津彦根命とする説を挙げる。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では摂津国住吉郡に「生根神社大月次新嘗」として、式内大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭では幣帛に預かる旨が記載されている。

文明14年(1482年)には境内に天満宮が祀られ、この天満宮が信仰を集めたため生根神社自体も「奥の天神」と通称されるようになっていた(「奥」は、住吉大社から見て大海神社のさらに奥に鎮座したことによる)。

慶長年間(1596年-1615年)頃には、現在の本殿が造営された。

江戸時代は住吉大社の摂社として推移しており、『住吉松葉大記』には摂末部に「奥天神社」として、住吉神宮寺の社僧が奉仕する旨とともに記されている。

明治維新後、明治5年(1872年)に住吉大社から分離独立のうえ、近代社格制度において郷社に列した。

また明治40-44年(1907-1911年)には近隣の塞神社2社(いずれも旧無格社)・竜王神社(旧無格社)・種貸神社(旧村社)が境内に移されている。

大阪市西成区に同名の生根神社がある。

創建時期は不詳であるが、一帯は住吉大社の神領であったことから、住吉大社摂社であった生根神社(奥の天神。現在は住吉大社から独立)から、少彦名神の分霊を勧請して玉出の産土神としたのに始まると伝えられている。

また、それ以前から蛭児命を祀っていたとの伝承もある。

当神社のある玉出の古名を勝間(こつま)村と言い、当地の名産であった小ぶりで、色の濃い、味わい深いかぼちゃを記念した塚。

江戸時代の大坂では天王寺蕪と並んで有名ななにわ野菜であった。

勝間商人によって、勝間街道を使って大坂まで行商された。中風除け、風邪除けとして冬至にはよく食べられたという。

当神社でも冬至に「こつまなんきん祭」として、蒸しかぼちゃを参拝者に振舞う「こつま南瓜蒸し」神事が行われる。

蒸しかぼちゃを食べ、中風除け・ボケ払い・無病息災を祈願する。
当日はなにわの伝統野菜から作った飴や、こつま南瓜が原料の焼酎も販売される。

石大鳥居再建の記 

石碑、元は慶応年間に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として建立した東大鳥居であったが、解体撤去され現在の地に住吉名所保存会によって再建された。

住吉大社の東の慈恩寺に、見事な桜の大樹が十数本ありました。

後醍醐天皇が住吉大社に行幸の折、慈恩寺の桜があまりにも見事であったので車を引き返らせたことから、慈恩寺の桜を『後醍醐天皇車返しの桜』と呼ぶようになりました。

この桜の花を偲んで、大阪市の『未来樹』に指定して戴き、住吉武道館前に植樹した。

浅澤社(初辰まいり巡拝社)

美容・芸能の神様

住吉の弁天さまともいわれ、芸能・美容の守護神として崇敬をあつめています。

特に女性の方からの信仰が篤く、住吉参詣の時にはここを訪れる慣わしがあります。

鎮座地は、古来「浅澤沼」があり、カキツバタの名所として万葉集にも詠まれています。

祭神
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)

浅沢神社の案内板によると、昔、ここらに清水が湧き、浅沢の池があり、そこに咲くカキツバタが有名になり、歌に詠まれていた。

昭和になり、池が涸れ、カキツバタに代えて花菖蒲が移植されたとのこと。

平成になり、近くの細江川の改修工事に合わせ、水脈を確保し、新たにカキツバタを植えたとのこと(財団法人住吉名勝保存会)。

大歳社(初辰まいり巡拝社)

収穫・集金の神様 大歳社

初辰まいりにて最後にお参りする神社で収穫の神様をお祀りする大変歴史のある古社です。

祭神
大歳神 (おおとしのかみ)

もとは五穀収穫の神として信仰されてきましたが、いつの頃からか集金のご利益にも霊験あらたかな神として広く信仰されるようになりました。

また、大歳社境内に鎮座する、おいとしぼし社の「おもかる石」は願いを占う石として知られ、行列ができるほどの賑わいを見せています。

御田植神事は、神功皇后が211年住吉大社の鎮座に際して御供田に田植えをさせられたのに始まる歴史あるもので、明治維新の際に御田が民間に払い下げられ、御田植神事も廃絶しそうになったそうです。

その際に、大阪新町廓が御田を買い上げ住吉大社に寄進、それを機に新町廓の芸妓が、田植えを行う植女を奉仕するようになったそうです。
夕霧太夫の面影をもとめて新町を歩く
四ツ橋駅~西六平和塔~新町橋~新町通(瓢箪町)~新町北公園~新町九軒桜堤跡の碑~ … 続きを読む →

そんな新町廓も現在はなくなり、今は財団法人上方文化芸能協会が引き継いでいるそうです。

住吉大社お田植え神事2013
社伝によれば、千七百六十余年の昔、神功皇后が大社を御鎮祭の後、長門国から植女を召 … 続きを読む →

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