光が清々しい朝の光線です。
この時間帯乗客もまばら。
「住吉」の読みは、現在は「スミヨシ」だが、元々は「スミノエ(スミエ)」だった。
例えば奈良時代以前に成立した『万葉集』には「住吉」のほか「住江」「墨江」「清江」「須美乃江」という表記も見えるが、平安時代に成立した『和名抄』にはすでに「須三與之」と記されている。
本居宣長の『古事記伝』以来の通説では、元々の「スミノエ」に「住江」「墨江」「清江」「住吉」等の表記があてられた中で「住吉」が一般化し、それが音に転じて平安時代頃から「スミヨシ」の呼称が一般化したと解されている(類例に日吉大社<ヒエ→ヒヨシ>)。
ただし過渡期の平安時代には両者の使い分けも見られ、歌枕としての扱いでは、「スミノエ」は江を指し「スミヨシ」は社・浦・里・浜を指すと歌学書にはある。
元々の読みである「スミノエ」の語義について、『摂津国風土記』逸文[原 1]では、筑紫からお連れした住吉神がこの地に住むと言ったため、神功皇后が「真住吉住吉国(まさに住み吉き住吉国)」と讃称したことに由来とする地名起源説話を載せている。
一方で歴史考証学上では、「清らかな入り江(=澄み江)」を原義とする説が有力視されている。
実際に住吉大社南側の細江川(細井川)旧河口部には入り江があったとみられ、古代にその地に整備された住吉津(墨江津)は難波津とともに外交上の要港として機能し、住吉大社の成立や発展に深く関わったと考えられている。
朝の強い光に美しく浮かび上がる門。
屋根は檜皮葺 (ひわだぶき) でできており、直線的な屋根で切妻造りです。
第三本宮と第四本宮の間を進む、霧がかかり、空も魅力的だ。
第一本宮の南側には五所御前(ごしょごぜん)という玉垣の区画があり、内側には杉の木が生育する。
社伝では、神功皇后が住吉神の奉斎場所を探す際に3羽の鷺が杉の木にとまったので、この地を鎮座地に定めたという。
元々は祭神来臨の神事を行うミアレ所(御阿礼所/御生所)であったとする説もある。
現在は「高天原」とも称され、毎年5月初卯日(住吉大社創建伝承日)の卯之葉神事ではこの五所御前に卯の葉の玉串が捧げられる。
『五』『大』『力』と書かれた石を拾い御守にすると願い事が叶うという信仰があります。
右は若宮八幡宮 祭神:応神天皇、武内宿禰
本宮南側、五所御前の南側において西面して鎮座する。
祭神の応神天皇は神功皇后の子。
1月12日の例祭では湯立神楽が奉納される。
住吉大社 若宮八幡宮例祭 湯立神事
1月12日、住吉大社で若宮八幡宮例祭 湯立神事が行われた。 穀物の豊穣を祈るため … 続きを読む →
第一本宮の南側には石舞台がある。
南門・東西楽所と同様に慶長12年(1607年)の豊臣秀頼の再興による造営。
池に架けられた石造桁橋(幅約11メートル×長さ約12メートル)の上に、一辺約6メートル、高さ約0.5メートルの規模で築かれている。
前面に階段を付し、舞楽を演じる際には上面に木製の高欄が取り付けられる。
「日本三舞台」の1つに数えられるとともに、国の重要文化財に指定されている。
古式床しく 卯之葉神事 住吉大社
住吉っさんがこの地に鎮座したのが、神功皇后摂政11年(211)の卯年の卯月の卯日 … 続きを読む →
5月の青葉に彩られた神池にかかる石舞台で天王寺楽所 雅亮会により舞楽が行われる。
池の水が抜かれている、初めて見た。
静かな場所で小鳥たちの大切な場所のようだ。
初辰まいりの中心的な神社で「はったつさん」と親しまれ、古くより商いを営む方から篤い信仰を受けています。
ここには樹齢千年を超える楠(くすのき)があり、江戸時代、人々は楠の神秘的な霊力に祈りを捧げていました。
その後、根元に設けられた祠に神様をお祀りするようになったといわれています。
参拝の際、招福猫を受けて祈願し、これを48ヶ月間(4年間)続けると「始終発達」(しじゅうはったつ=四十八辰)の福が授かるとして日本全国より崇敬を集めています。
招き猫は、左手は人招き、右手は金招きといわれ、奇数月は左手、偶数月は右手を求める慣習があります。
種貸社、楠珺社、浅澤社、大歳社の四社をそれぞれにお参りするのが慣わしとなっています。
『古今著聞集』では本地仏の高貴徳王菩薩の託宣があったとし、『住吉松葉大記』では天平宝字2年(758年)の創建とし、新羅渡来の薬師如来を本尊としたため「新羅寺」とも称されたとする。
津守寺(廃寺)・荘厳浄土寺とともに住吉の三大寺に数えられていた。
明治初年、神仏分離令により廃絶、多くの著名な秘仏も散逸したが、そのうち西塔は徳島県切幡(きりはた)寺に売却、移築され現存している。
なお今に伝わる住吉踊りは、ここの僧徒により広められたものという。
住吉大社には、国宝建造物である住吉四本殿や重要な文化財建造物の他にも重要文化財指定の住吉大社神代記、舞楽面、太刀を始め、古文書類、舞楽装束等の貴重な宝物類が点在して格納され、保存施設設備も十分ではありませんでした。
これら貴重な文化財を火災、破損、散逸等から守るため、一堂に収納保管し、また一般にも公開する等我々祖先が残した大切な遺産を永く後世に継承するため昭和52年5月住吉大社境内地に住吉文華館を建設した。