宗像神社

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宗像三女神(多紀理比売命、多岐都比売命、市寸島比売命を主祭神に、倉稲魂神と天岩戸開神の2柱を配祀する。

主祭神は『日本三代実録』に、筑前国の宗像神社(現宗像大社)と鎮座地を異にするが「同神」であると記されたり、「同神別社」であると記されている。

社伝によれば、延暦14年(795年)、藤原冬嗣が桓武天皇の勅命を蒙り、皇居鎮護の神として筑前宗像神を勧請し、自邸である東京第(東京一条第ともいう)の西南隅に祀ったものと伝えるが、当神社の鎮座由来を記す最古のものとしては源師房による『土右記』が挙げられる。

ちなみに、この藤原冬嗣とはどんな人なのかと言いますと

810年に起こった『薬子の変(くすこのへん)』で活躍した人物として知られています。

この事件は都が平安京に遷都されたにも関わらず先代の天皇であった平城天皇(へいぜいてんのう)や藤原薬子(ふじわらのくすこ)によって再び奈良(平城京)に都を遷都させようとした政変です。

この時、藤原冬嗣は時の天皇であった嵯峨天皇や坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)らと協力し平安京を見事に守った。

花山院家は、三條家や西園寺家と同じく「清華家」に属する。「清華家」とは太政大臣になる資格を有する名家7家の家格の名称である。

さらに上位に、摂政になる資格を持つ「摂家」がある。

東京第は嘉祥3年(850年)に清和天皇(生母は冬嗣の孫の明子)が誕生した場所で、その縁から同天皇の産神・産土神と崇められたようで、宗像3神には即位の翌年である貞観元年(859年)に正二位が授けられており(その後従一位に昇進)、同7年(865年)には同じく邸内社であった天石戸開神にも従三位が授けられ、同年4月17日には特に楯・桙・鞍を奉納するほどであったが、『延喜式神名帳』には登載されずに終わった。

その後、藤原時平の代に倉稲魂神を合祀し、更に天承元年(1131年)に藤原師実から子家忠が花山院(小一条第も花山天皇の皇居とされて以来「花山院」と呼ばれるようになっていた)を伝領して花山院家を開くと、天石戸開神をも合祀して同家の守護神とするようになり、建治元年(1275年)になって初めて官社に列したという

御苑南部にある宗像神社周辺のクスノキの大木には、毎年4月下旬頃から10月頃までアオバズク が訪れ営巣します。

この時期、運が良ければ夕方から夜にかけて、ホウホウという鳴き声が聞けたり、また、7月以降になると、2羽の親と数羽のヒナと仲良く肩を並べている姿を見ることもあります。

平成4年に「アオバズクのすむ森」として、京都府の自然200選に選定されました。

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