龍馬の育ったまちを訪ねる

四国


龍馬の生まれたまち記念館が路面電車 上町一丁目下車(はりまや橋乗り換え)すぐのところにある。

坂本龍馬が生まれた高知市上町にある記念館では、昔の上町の町並みを半立体模型で再現し、龍馬の精神的なバックボーンを育てた上町という町を紹介しています。

入り口で龍馬像がお出迎え、おなじみの懐手のポーズ。

龍馬を中心に乙女、近藤長次郎の像。

乙女は、天保3(1832)年1月1日、父・八平と母・幸の間に生まれた。
本名は「留(とめ)」であり、「おとめ(乙女)」は当て字である。

きょうだいは兄・権平と長姉・千鶴、次姉の栄であり、龍馬はその3年後となる天保6(1835)年11月15日に生まれている。

母・幸が弘化3(1846)年に死去した後、龍馬の母代わりとなって教育したと言われる。(実際は、龍馬の少年時代に与えた影響力は、継母の伊与のほうが大きいのではないかと思われる)

人物は、「男勝りの豪快な女」のイメージがあるが、三味線、一絃琴、謡曲、浄瑠璃、琵琶、舞踊などの芸術的な技能も多彩であった。

また、剣術や長刀(薙刀)、馬術、水泳などにも通じており、文武において高い能力を持っていたらしい。

身長は5尺8寸(約176cm)、体重は30貫(約112kg)もあったそうで、成人男子の平均身長が155cmほどであった当時の人々には、途方もない大きさに感じられたことだろう。

近藤長次郎

坂本龍馬と仲が良く、龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立した人物。

龍馬の命令で長州藩に赴き、小銃を売り渡したのも近藤。

ユニオン号引渡しで長州藩から得た謝礼金をイギリス商人に渡した上、イギリス船に乗り込みイギリスに留学しようとした事と、密かに亀山社中の資金を横流ししていた罪により、社中の隊士たちより切腹を言い渡される。享年29歳。

龍馬が土佐藩を脱藩するまでの少年,青年時代のエピソードを映像や音声で紹介しています。

龍馬が育った上町の様子。

龍馬が育った上町の様子。

坂本家の離れをイメージした空間。
龍馬へ宛てたメッセージノートなど、思いを馳せながらゆっくりくつろぐことができます。

また龍馬・乙女姉さんとの写真撮影も楽しめます。

龍馬の育った才谷屋この先にある。

高知駅前にーぶんした「龍馬伝」幕末志士社中、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で使われた龍馬の生家セット。

「龍馬伝」で使われた龍馬の部屋。

しかし、龍馬が偉大な人物だったことは認めるが、高知って龍馬しかいないの?
展示内容が少し薄っぺらすぎませんかねえ、物足りなさを感じる。

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