鴨川の源流庭園を紹介してからやたらとその前はどうなっているんだろうと気になりだした。
さっそく出かけて出町柳から二条大橋まで行ったり来たり。
結局目に見える形で取水口を見ることはできないんですね。
安定した流量を確保するためにはそれなりの工夫が必要なわけです。
汗をかいた末の結論でした。
鴨川は流れが急なので各所に堰堤がつけられている。
カルガモの親子が朝の食事中です。
サギも朝食の真っ最中です。
うまく魚を捕ったところがとらえられました。
荒神橋上の飛び石。
かめさんの踏み石が特徴。
高瀬川のもととなるみそそぎ川は京都市上京区の荒神橋付近の堰堤のひとつから暗渠を通じて取られている。
場所は京都地方法務局の東。
流れはしばらく鴨川河川敷の緑地公園の下を流れる。
丸太町橋の飛び石では舟形だ。
白川の放水路。
危ないので近づかないようにとの注意書きがありました。
明治期の女子教育機関である女紅場(にょこうば)は,明治5(1872)年,九条家河原町別邸内に設けられた。
英学と女工(手芸・手工)の二科を置き,英国人イーバンス夫妻を教師に招き,新英学校女紅場と呼ばれた。
同7年に英女学校女紅場,のち京都府立京都第一高等女学校となる。
現府立鴨沂高校の前身である。
この石標はその跡を示すものである。なお,女紅場と名付けられた女子教育機関が明治初期にはたくさんつくられたが,この石標の示す女紅場は,女子に高等教育を施す学校である。
上京区丸太町通河原町東入南側(丸太町橋西詰)
平安神宮の前からの疏水が鴨川に流出するとこるろ。
丸太町橋と二条大橋のちょうど真ん中あたり。
疎水はここから鴨川の東側を川端通りに沿って南下する。
一方、西岸ではみそそぎ川が姿を現す。
水路を少し北にたどると、ありました。
中京区の京都市職員会館の東側付近で地上に姿を現すのです。
この水路は「みそそぎ川」と呼ばれる。
鴨川沿いに軒を連ねる料亭が夏に納涼の川床を出す、あの水路である。
下流を見やるとみそそぎ川の取り入れ口、がんこ高瀬川二条苑の森が見えています。
みそそぎ川の流れは、鴨川沿いの遊歩道より高めに導かれてゆく。
これは高瀬川へ水を流すために高低差をつけてあるもの。
がんこ高瀬川二条苑への取り入れ口付近では水路が二股に分かれています。
金柵の向こうは旧角倉了以邸・現がんこ高瀬川二条苑の庭になっている。
手前の水はこのあと高い所を流す必要がなくなるので、カスケード状の滝となって落ち、なお「みそぎ川」として南へ鴨川に沿って流れてゆく。