高梁の街並み 紺屋川周辺・武家屋敷通り散策

地域

備中の小京都と呼ばれる高梁。
鎌倉時代から750年もの歴史と伝統を持つ城下町で、町家や川岸の土蔵などに今も当時の面影を残す情緒ある街並みを散策。

紺屋川美観地区 は「日本の道100選」にも選ばれている情緒豊かな町並み地区。
春には桜の名所として知られる。

岡村邸(男はつらいよロケ地)の碑
男はつらいよ・寅さんの映画では、寅さんの妹「さくら」の夫「ひろし」が高梁出身という設定で、武家屋敷通りにある同所はひろしの実家として映画に登場した。

武家屋敷通りにある旧埴原(はいばら)家。
石火矢町ふるさと村
臥牛山南麓に広がる備中松山の城下町。その中で石火矢町は武家の町として営まれ、今も格式ある門構えの武家屋敷が250mに渡って立ち並んでおり、岡山県のふるさと村の指定を受けている。

路地の両脇には白壁の長屋門や土壁が続き、当時の生活の面影を色濃く残っている。
この一角には武家屋敷旧折井家・旧埴原家が公開されており、武家の住まいを詳細に再現しているほか、資料館ではゆかりの武具などを展示している。

旧埴原(はいばら)家 元は150石取りであった埴原家の屋敷。
母屋は江戸時代中期から後期に建てられたとされる。

建物に寺院建築風の装飾や数寄屋風の要素が見られるなど、当地の武家屋敷としては豪華なつくりであるのが特徴。
市の重要文化財にも指定されている。

同家離れの一階を利用し、幕末に備中松山藩で活躍した藩政改革者山田方谷にまつわる資料を展示する資料室が設けられている。

板倉勝職詩書

旧折井家 元は幕末に160石取りであった折井家の屋敷で、江戸時代に建てられた母屋と長屋門が残る。

母屋は天保年間に建てられたとされる。
中庭の池や庭石、踏み石などもほぼ昔のまま残されている。
庭に面して資料館が設けられている。

玄関入口ではセンサーで動く人形のお出迎えがあり、いきなりお辞儀をされびっくり。

高梁屈指の豪商・池上家の邸宅。
享保年間の小間物屋に始まり、高梁川を航行した高瀬舟の船主、両替商を営み、八代目長右衛門の時には醤油製造販売で財を成した。

こうした当時の資料が展示されている。
喫茶スペースでは井戸水で沸かしたコーヒーで休憩することもできる。
天井裏をうまく物置として利用している。

安正寺
初代勝重公、第二代重宗公はともに京都所司代に任ぜられ、徳川幕府最後の老中勝静公までの霊をお祀りしてある。
朝敵になった当藩家臣団と朝廷側岡山藩との交渉が当寺で行われた。

高梁市郷土資料館
(展示種類・主な展示品)商・農業民俗資料
(特色)明治37年に建てられた旧高梁尋常高等小学校本館で、木造2階建て。

江戸時代から昭和初期にかけての生活用具など3,000点を展示している。
館内は撮影禁止のため画像はありません。

順正女学校は県下最初の女学校で、熱心なキリスト教徒であった福西志計子(しげこ)が、共鳴者の木村静子の協力を得て、明治14年(1881)、向町の自宅に裁縫所を開いたのに始まる。

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高梁の街並み 紺屋川周辺・武家屋敷通りへのアクセス、行き方歩き方

高梁市公式サイト

JR備中高梁駅→徒歩15分