佐嘉神社(さがじんじゃ)は佐賀藩10代藩主鍋島直正と11代藩主鍋島直大を祀る。
直正は藩政改革を行い、大隈重信・江藤新平らの人材を育成した。
直大は戊辰戦争で官軍として戦い、明治2年には版籍奉還を申し出た。
旧社格は別格官幣社。
神門から見る拝殿。
境内にはアームストロング砲のレプリカがある、アームストロング砲は幕末に佐賀藩が保有していた最新の後装施条砲。
1855年イギリスで開発され、佐賀藩は長崎のグラバー等を仲介として輸入した。
佐賀藩でも製造したといわれているが、実否は明らかでない。
戊辰戦争では上野や奥羽の戦いで用いられ、「佐賀の大砲」として威力を示した。
佐嘉神社に飾られる佐賀藩の反射炉と工場の図
アヘン戦争に危機意識を高めた10代藩主鍋島直正は、長崎港の台場増築による海防強化を図り、嘉永3年(1850)、台場に据える鉄製大砲を鋳造するため築地反射炉を着工した。
反射炉建設は伊東玄朴らによって訳された1冊のオランダ語原書を基に行なわれ、鍛冶・鋳物など伝統技術も取り込みながら、2年あまりの試行錯誤の結果、築地反射炉は日本で初めて鉄製大砲の鋳造に成功した実用反射炉となった。
築地反射炉で鋳造された鉄製大砲は、長崎台場に配備されただけでなく、幕府や友好他藩にも供給された。
築地反射炉跡は、現在の日新小学校敷地の北東あたりと推定されている。
今日のお昼は佐嘉神社記念館でいただいた。
佐嘉神社記念館は結婚式場です。
そこに偕老同穴(かいろうどうけつ)なるものが展示されている。
偕老同穴(かいろうどうけつ)とは、共に暮らして老い、死んだ後は同じ墓穴に葬られること。
転じて夫婦の信頼関係が非常にかたいことを意味する故事成語。
しかし、こちらは動物なのだ。
ホントは、偕老同穴という動物自体が夫婦の仲の良さを示すのではないそうです。
偕老同穴の胃の中には、必ず「ドウケツエビ」という体長1.5センチほどのエビがつがいで住んでいるとのこと。
彼らは一生外には出ないそうです。
この小さなエビが「とも白髪」の人生を歩むらしい。
偕老同穴と「ドウケツエビ」の関係は寄生なのか共生なのか。
単なる勝手な間借り人かもしれません。
ともかく、人間から見れば、男女仲良くひとつの部屋にずっと住み続けていると見えるのでしょう。
偕老同穴は、日本では、相模湾とか駿河湾の海底に住んでいるらしい。
佐嘉神社へのアクセス、行き方歩き方
住所:佐賀県佐賀市松原2-10-43(佐賀県庁前)
電話:0952-24-9195
JR佐賀駅よりバス10分 、佐嘉神社前バス停下車