散策中に地元のカメラマン氏に遭遇、定例会のネタ探し最後はこの辺りが頼りなんだけど・・・とのこと。
江戸後期から昭和60年まで営業の公衆浴場。
湯浅の町並の特徴である小路の辻に立地し、個性的なデザインの塀を構えた浴場と経営者の住まいであった主屋で構成されています。
瓦葺の塀には、菱型の開口部が設けられています。
とても印象的な塀は大正時代のデザインです。
正式な名称は「戎湯(えびすゆ」でしたが経営者(須井甚蔵)の名前から「甚風呂(じんぶろ)」と呼ばれ、長年にわたり地域住民の憩いの場として親しまれてきました。
廃業から10年以上が過ぎ、主がいなくなった甚風呂は平成13年に町の財産となりその歴史が受け継がれました。
平成19年から2年かけた修理工事を経て平成21年から銭湯跡民俗資料館として公開しています。
一歩入れば、タイムスリップしたような、のんびりとした時代の面影が見え隠れする懐かしい空間です。
番台(ばんだい)
入り口を入ってすぐにあるのが番台です。
番台は入浴料を徴収するところですが、男湯と女湯の双方が監視できる場所に作ってあります。
番台の前の脱衣所には、男湯と女湯の仕切りがありますので、双方からは見えません、甚風呂では仕切りは取り外しており、広い空間になっています。
明日から後のひな祭り 湯浅
平安時代末期から南北朝時代にかけては、湯浅荘を根拠地とする湯浅宗重ら湯浅党が、紀 … 続きを読む →
男湯の壁面には、昭和30年代に放映された映画のポスターが掲示されています。
湯浅町にはかつて、湯浅会館と旭座の2つの映画館があり、風呂場の脱衣場に映画のポスターが貼られていました。
掲示されているポスターは甚風呂の改修工事の際、押入れの長持ちの中から見つかったものをクリーニングして掲示しております。
2本立て50円鑑賞料ですので、当時の物価が偲ばれます。
男湯です。
床は石造りで珍しい。
浴槽へは壁側からも入れるようになっていて親切設計。
とても重い洗面器。戎湯と彫られています。
女湯と男湯とつながっています。
別々で沸かさなくていいし便利ですね。
もぐって女湯に入ってくる強者とか居なかったんでしょうか。
昔は仕切りなど無く子供が行き来してたそうです。
「ゆ」と書かれた蛇口。
浴室(女湯)
浴室は左右対称に、男湯と女湯に分かれています、甚風呂の浴槽は特徴があり立ち湯(立ったまま入浴する方式)の構造になっています。
奥に見えるのが子供用の浴槽で浅くなっています。
浴槽は二つあります。浅い方は子供用?
深い方は立って入るそうです。
顕国神社秋祭りの展示室
毎年10月18日に、顕国神社の秋祭りが行われます。
各町内から、神輿を繰出しお渡りが執り行なわれます。
この神輿は、伝建地区の北中町のものです。
壁面には昔の祭りの古写真が展示されています。
湯浅の祭りの特徴は、馬宿を設け、祭りで馬の早駆けが行われ、町中を馬が疾走する豪快な祭りでした。
特に明治の頃には、中町の通りが広かった為、賞金を掛けた競馬も行われていたそうです。
昨今は、馬を飼う家もなくなり、祭りに馬使われなくなりましたが、北浜町が馬でのお渡りを復活させています。
吹抜展示室・駕籠(かご)
江戸期の終わりから、明治にかけて使われたものですが、お医者さんの往診に使われていたようです。
大名や武家が使ったものに比べて、質素な作りになっていますが、駕籠かきを雇うのにかなり経費が掛かったようです、昔もお医者さんはお金持ちだったようですね。
焚口
甚風呂では、最初のころは、薪やおが屑でお湯を沸かしていましたので焚口が残っていますが、後年重油ボイラーに切り替わったので、焚口が改造されています。
燃料タンクと循環ろ過器が写っています。
焚口の周囲は、防火のためレンガが使われています。
2階展示室・徳利(とっくり)
「とっくり」といえばお酒を連想される方も多いでしょうが、湯浅は醤油の醸造業者が多く、この写真に写っているのはすべて醤油徳利です。
大きいのから小さいのまで、様々な醤油徳利が作られていたようです。
右の取っ手を廻すと「リ、リ、リン」と音が鳴る手回しの電話機。
蓄音機。現役で使えるそうです。
アクセ JR湯浅駅下車徒歩約10分
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