兼六園は小立野台地の西北端近くにあり、金沢城跡とは百間堀をへだてて相対している。
江戸時代の代表的な回遊池泉式庭園で日本三名園の一つ。
穏やかな初秋の光を浴びて秋の始まりを感じさせる園内を散策。
「兼六園」の名前の由来
奥州白河藩主松平定信公が、12代藩主前田斉広(なりなが)の依頼により命名。
中国の古典『洛陽名園記』の中の「湖園」の章から採り、
宏大(こうだい)、幽邃(ゆうすい)、人力(じんりょく)、蒼古(そうこ)、水泉(すいせん)、眺望(ちょうぼう)
の「六勝」を兼ね備えていると言う意味で命名された。
長らく殿様の私庭として非公開だったが、1871年(明治4年)から日時を限っての公開が開始。
同年に園内の山崎山の下に異人館が建てられ、噴水前には理化学校が開設された。
1872年(明治5年)には異人館は成巽閣とともに国内初の博物館である金沢勧業博物館となった。
同館は1909年(明治42年)に廃止されるが、その間1879年(明治12年)に図書館、1887年(明治20年)に金沢工業学校(後の石川県立工業高等学校)が附属されるなど、大規模なものに拡張された。
徽軫灯籠と霞ヶ池(かすみがいけ)
霞ヶ池は兼六園で最も大きな池。
周辺に徽軫灯籠、虹橋、唐崎松、蓬莱島、栄螺山、内橋亭などの名勝、銘石が配されている。
徽軫灯籠(ことじとうろう)
霞ヶ池の北岸に位置する灯籠で、兼六園を代表する景観となっている。
脚が二股になっており、琴糸を支える琴柱に似ていることから名付けられた。
無料で24時間解放されたときの深夜、何者かによって灯籠が破壊される事態が発生し、当時のものは別のところに保管され、現在の灯籠は新造されたものである。
唐崎松(からさきまつ)と秋を感じさせるすすき。
唐崎松は前田斉泰が琵琶湖の唐崎松から育てた兼六園内でも有名な樹木。
雪の重みによる枝折れを防ぐ為の雪つりは冬の風物詩。
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