「みんぱく」はそもそもは、かつて日銀総裁や大蔵大臣を務めた渋沢敬三氏(1896年-1963年)が始めた「屋根裏部屋の博物館」が始まりだとか。
彼が、東京帝国大学の学生だった頃に集めたコレクションで、博物館ごっこをしていたら、やがて呼びかけに応じて次々と収蔵品が増えていき、さらには、70年の万博のテーマ館のために集められたコレクションもここに収蔵され、その結果、とてつもない量になってしまったとのこと。
本館の展示は地域展示と通文化展示に大きく分かれている。
地域展示ではオセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、日本を含むアジア各地域に分かれ、オセアニアから東回りに世界を一周するようになっている。
数多くの貴重な資料がある、時間をかけ記事の合間を縫って順次紹介したい。
キリスト教の宣教師が南太平洋に足を踏み入れたとき、島によっては人食いの慣行などがあった。
島に住み込み福音を伝道する仕事は、彼らにとっては野蛮な地への冒険とさえいえた。
宣教師が来た当時、太平洋の人々は男女ともに、上半身裸であることは珍しくなかった。
そのため、信者となった者は、熱帯の気候には不釣り合いな衣服をまとうことで、キリスト教への入信を視覚的に表現したとさえいえた。
上半身裸で過ごしていた熱帯の住民にとって衣服を纏うということはかなりの苦痛だったのではないかと感じてしまう。
次世代にドリーミングを伝えるために描かれた岸壁画、1986年に来日したアーネムランドのBobby Bardjarai Nganjmirraが岸壁画の複製に描いたもの。
オーストラリア先住民アボリジニには、ドリームタイム(創世記の世界)を語るドリーミングストーリーという口承による昔話(神話)があります。
人々はドリーミングストーリーによって、自然の世界観を学び、生き方を学び、規範を学び、共に生きる意味を学びます。
ドリーミングストーリーには、原始人類が自然の背後に精霊を見出し、様々な自然外圧を対象化し同化を試みた様が窺えます。
親族に基づくアポリジニ集団それぞれが創世神話を持つ。
現在でも、集団と深くかかわる精霊たちは夢や暗示を通して集団の人々へ、逆に彼らは儀礼を通して精霊たちへ互いにメッセージを送る。
ドリーミングは精霊と人々のコミュニケーションの回路である。(民博展示説明より)
クニヤ伝説。
クニヤ(ニシキヘビ)の甥であるクカクカが毒ヘビの祖先・リルの放った槍によって命を落としてしましました。
実際にはクカクカが掟を破ったことへの戒めでしたが、それを知らないクニヤは激怒し、リルとの激しい戦いが始まって怒ったクニヤはリルの頭を棒で殴ってウルルから転げ落とし殺した、リルに戦いで放たれた毒に侵され、クカクカをムティジュルの泉へ運ぶと自分も息絶え、ワナンビと呼ばれる虹色のヘビに姿を変えました。
今でもムティジュルと呼ばれる一角にはクニヤと毒ヘビとの戦いの傷跡が残っており、水場の奥にはクニヤとクカクカがワナンピ(ニシキヘビ)に姿を変えてすんでいるという。
そして万が一水が枯れそうになると、ワナンピが雨をもたらし再び水が満々と湛えられると信じられている。
そして今でも執念深くリルが生き返らないかと見張っている。
「パータカ」は今日、マオリの人びとの集会所として使われている。
彼らはここに集まり、語り、歌い、祝い事をし、死者を悼んでいる。
手の込んだ装飾が施された倉庫には、通常、彼らにとって大切な写真や彫刻など、地域の伝統文化を伝える宝物が保管される。
とすれば、みんぱくの「パータカ」は、みんぱくという博物館の中にある博物館、記憶の倉庫の中にある記憶の倉庫ということになる。
注意深くみると、みんぱくの「パータカ」にも貴重な宝物が入っていることがわかる。
それは20世紀初頭に撮られた「パータカ」の写真だ。
ここにはヒョウタンに入れられた鳥肉が保存されていた。
「パータカ」は、記憶だけでなく食糧保管のためにも必要なものだった。
「木彫 マオリ族」
向かって左半分はイレズミを施した男女それぞれの顔。
右半分には、一人の女性の顔が表現されている。
どうです、耳慣れない言葉の連続に辟易しましたか。
世界各地には現代の我々には俄かには理解しがたい事実が沢山あります、魑魅魍魎の世界といいますか不思議な世界です。
私と一緒に旅を続けませんか。
「民博」へのアクセス、行き方歩き方
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