霊山寺(りょうせんじ)は奈良市の西郊・富雄川沿いにあり、戦乱に巻き込まれずに古い面影を残す。
境内東側の正面入口には一般の仏教寺院と違い、門ではなく朱塗りの鳥居が立つ。
これは信仰の中心となっている大弁才天堂への入口を示すもの。
道の左側(南側)には仙人亭(喫茶軽食)、薬師湯、ゴルフ練習場などがある。
仙人亭の入り口付近にはお愛嬌の像が。
八体仏霊場。
この時期山内いたるところに山法師が繁る。
神亀5年(728年)のこと、聖武天皇の皇女(のちの孝謙天皇)は、病に苦しんでいた。
ある晩、天皇の夢枕に鼻高仙人が現われ、登美山の薬師如来の霊験を説いたので、僧・行基を登美山につかわして祈願させたところ、皇女の病が平癒した。
天平6年(734年)、聖武天皇は行基に命じて霊山寺を建立させた。
静まり返る放生池、木漏れ日が美しい。
開山大師堂。
地蔵院。
地蔵院の前の鳥居をくぐり左手にとって登れば約20分で奥ノ院。
本堂(国宝)-入母屋造、本瓦葺き。
棟札により弘安6年(1283年)の建築であることが明らかな、鎌倉時代和様仏堂の代表作である。
堂内の厨子も堂と同時期の作。
本堂と地蔵院の間にある行基菩薩僊那歌碑、石標に行基菩薩の歌と僊那の返歌が刻んである。
天平8年(736年)に来日したインド僧・菩提僊那(東大寺大仏の開眼供養の導師を務めた)は、登美山の地勢が故郷インドの霊鷲山(りょうじゅせん)に似ていることから霊山寺と名付け、聖武天皇からは「鼻高霊山寺」の額を賜ったという。
鐘楼(重文)-本堂の手前にあり、本堂と同時期の建築と推定される。
行者堂。
三重塔(重文)-高さ17メートル、檜皮葺き。
谷をはさんで本堂とは反対側(南側)の斜面上にある。
初層内部の来迎壁(仏壇背後の壁)の表裏や長押には五大明王図、仏涅槃図などの極彩色壁画が描かれている。
これらの絵画は剥落や退色が少なく、保存状態が良好である。
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霊山寺へのアクセス、行き方歩き方
奈良市中町3879
0742-45-0081
近鉄奈良線富雄駅より奈良交通バス8分霊山寺バス停下車すぐ
近鉄富雄駅から徒歩約30分、またはタクシー約8分