牛に引かれて善光寺参り

甲信越

善光寺は日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられている。

また女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性の救済(女人救済)があげられる。
山号は「定額山」(じょうがくさん)。

仁王門は宝暦二年(1752年)に建立されたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは大正七年(1918年)に再建された。

この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。

仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作であり、その原型は善光寺史料館に展示されています。

仁王門から三門まで続く仲見世通りは、土産物店や旅館などが立ち並び、多くの参拝客で賑わっています。

山門(三門)の楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。
これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。

更に「善」の一字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を如実に物語っています。

「大本願」は、大寺院としては珍しい尼寺である。
住職は「善光寺上人」と呼ばれ、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住職を迎えている。

現在の「善光寺上人」(「大本願上人」)は鷹司家出身の121世鷹司誓玉である。

仲見世通りが終わり、三門へ進む参道の入り口にある石橋は、建久八年(1197年)源頼朝が善光寺を参詣した時に、馬の蹄が穴に挟まってしまった為に駒を返したという話から「駒返り橋」と呼ばれています。

その馬蹄の凹みは現在も「駒返り橋」の右側に見ることができます。

六地蔵とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の6つの世界で我々衆生を救ってくださる菩薩様です。

ぬれ仏(延命地蔵尊)は享保7年、善光寺聖・法誉円信が全国から喜捨を集めて造立した延命地蔵尊で、明暦の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという伝承が伝えられているため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれている。

「大勧進」の住職は「貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が務めている。
善光寺の住職は、「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。

本堂の中の「瑠璃壇」と呼ばれる部屋に、初めての朝鮮渡来の絶対秘仏の本尊・一光三尊阿弥陀如来像が厨子に入れられて安置と伝えられている。

その本尊は善光寺式阿弥陀三尊の元となった阿弥陀三尊像で、その姿は寺の住職ですら目にすることはできない。

多くの寺社のように本尊が正面になく、向かってやや左側の瑠璃段に安置される。
正面には「御三卿」つまり、中央に善光寺開山の祖とされる本田善光卿像、向かって右に善光の妻弥生御前像、左は息子の善佐卿像が安置される。

経蔵(きょうぞう)は本堂に向かって東側に見える建物です。
宝暦5年(1755)に造り始め、同9年(1757)に完成した歴史ある建物であり、宝形造りで正面、奥行きともに15.4メートルの正方形の建物です。

経蔵の前には輪廻塔があります。

輪廻塔には「南無阿弥陀仏」の文字が刻んだ石車がついており、これを回すことで功徳を積むことができると言われています。

現在の本堂建立の際、松代藩が普請奉行にあたったというご縁から、毎回松代町から「回向柱(えこうばしら)」が奉納され、本堂前に立てられます。

回向柱には前立御本尊の右の御手に結ばれた金糸が善の綱となって結ばれ、柱に触れる人々にみ仏のお慈悲を伝えてくれます。

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善光寺へのアクセス、行き方歩き方

善光寺公式サイト
住所:長野県長野市元善町491
電話:026-234-3591

JR長野駅→善光寺大門、所要時間約15分、運賃150円
善光寺大門のバス停から善光寺本堂までは、徒歩5分程度。