信玄が築かせた要害の城 小諸城

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戦国時代、武田信玄の東信州経営のために現在の縄張とされた。
現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、根拠となる史料はない。

別名、酔月城、穴城、白鶴城。

懐古園の入り口は、旧小諸城三の門を利用しており、徳川家達の筆による『懐古園』の扁額が掲げられている。

この三の門は小諸市のシンボルとしてフジテレビのアニメーション『サザエさん』の旅行編やオープニングにも複数回登場している。

二の門枡形

二の丸跡

慶長5年(1600年)中山道を進む徳川秀忠を小諸城主・仙石秀久は この二の丸に本陣を置いて迎えたという。

しかし 上田城の真田昌幸に翻弄され ここ小諸に10日間の足止め・・
そのため秀忠が関ヶ原に遅れてしまったのは有名な逸話です。

かつて大正天皇の皇后・貞明皇后は、この小諸の地を行啓された。

夏の日のながき日ぐれし桑畑に
          桑きる音のまだたえぬかな


二の丸の石垣には若山牧水歌碑が

かたはらに秋くさの花かたるらく
          ほろびしものはなつかしきかな


二ノ門跡

二ノ門跡を本丸側から。
右奥が二ノ門、正面の階段を上がると二の丸。

ここから本丸までほぼまっすぐの一本道。
二ノ丸~南の丸・北の丸~本丸が一直線に並んでいるという変わった配置。

二の丸入口横の石垣にあるこの鶯石は、城主の通行や何か祝い事があるたびに、ウグイスの鳴き声をたてたと伝えられている。

二の丸から本丸に向かう道の左側が「南丸」。
南丸は二の門の上を渡って二の丸につながっており、三の門から二の門前の守りを固めている。
武器庫などがあったところ。

黒門橋
南谷と北谷を結ぶ堀切で当時は架け外し自在の算盤橋がかかっていた。
これにより 本丸のある部分は周囲を深さ20mはあるだろう南、北谷と10m程の堀切により切り離されている。

本丸跡の懐古神社

天守台石垣

天守台跡
三重の天守閣が建っていたが1626年落雷によって焼失。

山本勘助愛用の鏡石

山本勘助が武田信玄の命により小諸城を築城したおり朝に夕に、この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられています。

一説には隕石とも言われています。

馬場へ降りて天守台のある本丸を見上げた画像。
奥の突出部が天守台

石垣は城主が蒲生時代に積み上げられたのがベースなのか、荒々しく積み上げられてます。

天守台石垣

安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。
現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃に建てられたものであった。

天守には桐紋の金箔押瓦が用いられていたが寛永3年(1626年)に落雷によって焼失している。

酔月橋
別名の「酔月城」にちなむ。

日陰になり見にくいが、藤村歌碑

小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず 若草も籍くによしなし
しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど 野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて 麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよう波の 岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む

詩面は藤村自筆のもの

先方に見えるのは水の手展望台。
橋の手前に藤村の「千曲川旅情のうた」の碑があります。
草笛の音が聞こえてきます。

水の手展望台からの千曲川の眺め。
左手にはダムがあります。

水の手不明御門跡。
こちらは小諸城の搦手にあたります。

本丸の北側の谷。
地獄谷と呼ばれている方面である。
ほとんど天然の侵食谷であるが、ものすごい天然垂直切岸である。
とてもよじ登ることはできないであろう。

城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある。

また、浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御陣として利用されている。

草笛老師 横山祖師道

昭和33年より22年間に渡り、雨の日も風の日もこの場所で説教の代わりに草笛の優しい音色で旅人を慰めた。
ボタンを押すと・・・草笛の音が出る…

「椰子の実」の詩碑

名も知らぬ遠き島より

流れ寄る椰子の実ひとつ

故郷の岸を離れて

汝はそも波に幾月

旧の樹は生ひや茂れる

枝はなほ影をやなせる

われもまた渚を枕

孤身の浮寝の旅ぞ

『落梅集』(明治34年8月刊)所収。

荒神井戸。
寛保の大洪水後掘られた城内唯一の井戸。

藤村記念館の近くにある大きな欅。
樹齢500年、幹まわり6.5m。

小諸宿本陣主屋
江戸時代中期から明治維新まで北国街道小諸宿にあって本陣(大名や公家などの休泊施設)として、1878年からは佐久市の桃源院に移築されて本堂や庫裡として使用されていた建物で、1995年に小諸市に寄贈されたことで現在地に移築再建され、1997年7月に歴史資料館として公開された。

館内に小諸城および小諸宿の大型復元模型をはじめ、古絵図や駕籠など小諸宿に関する資料を展示する。
2005年4月より休館中。

大手門は、小諸城の城郭配置からすれば、小諸城の表玄関(正門)にあたります。

慶長17年(1612年)、藩主仙石越前守秀久が小諸城を築いた時代の建築で、大工は江戸から招いたと言われ、当時としては瓦葺の門は珍しかったので瓦門と呼ばれたとも伝えられています。

実戦的な城門で、華美な装飾をはぶいた質実剛健な建築は、東日本を代表する大手門建築の一つです。

日本の城門発展の過程を知る重要な建物として、青森県の弘前城とともに大手門の双璧といわれています。

しなの鉄道のしなの鉄道線と、JR東日本の小海線が乗り入れており、小海線は当駅を終着駅としている。

空には秋の雲が広がっています。
帰途、バスの車窓より。

筋雲にススキ、いい景色だね。

諏訪湖を過ぎる辺りで夕闇に包まれた。

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小諸城へのアクセス、行き方歩き方

住所:〒384-0804 長野県小諸市丁311

しなの鉄道及びJR小海線 小諸駅下車 徒歩5分

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