富岡城は天草下島の北西、砂州で繋がった陸繋島の富岡半島の南東部の丘陵上にある梯郭式の平山城である。
長い腕を海に突き出して、掌をかためて拳固を作ったような地形である。
拳固に当たる鳥山は、111mの標高を持ち、しかも島そのものから今一つ小さな砂嘴が出ていて、固めた拳固に小指だけ出して曲げたような形をしている。
つまりは、城のそばまで舟が入って、その小指状の砂嘴が作る入江の中に泊めることもできるのである。
その入江は「袋」と呼ばれていた。
まことに、うまい呼び方といっていい。
長い腕にあたる砂嘴の上に、城下町が作られていた。
富岡城は、三方というより四方が海で、ただ一条の砂嘴が本土(下島)とを結んでいる。
いざとなればこの砂嘴一筋を固めるだけで、他の防禦は配慮しなくていい。
その点、この城は籠城だけを主題にしている。
平成6年(1994年)より城の発掘・復元が計画され、国立国会図書館にある『肥前甘艸富岡城図』をもとに丘陵上の本丸に復元作業が行われた。
平成17年(2005年)3月復元作業が終了し石垣や櫓が復元された。
本丸の櫓は展示施設「富岡ビジターセンター」となり、天草の歴史・文化・自然などが紹介されている。
富岡城 二の丸石垣、天草は、慶長5(1600)年 関ヶ原の戦いの後、唐津の寺沢広高の領地となった。
寺沢氏は天草統治のため慶長7(1602)年から富岡城を築いた。
寺沢氏の支配時代の寛永14(1637)年に天草島原の乱が勃発、富岡城は一揆軍から攻撃を受けるが、寺沢氏の必死の守りで落城をまぬがれた。
天草島原の乱後、山崎家治の領地となる。
この時、幕府は資金を与えて富岡城の修復を命じ、約3年をかけて新たに大手門や百間土手を築き大修理を行った。
その後、鈴木重成代官の天領時代を経て、戸田忠昌支配の寛文10(1670)年に、当地に城は必要ないということで富岡城は破城された。
町では、富岡城の復元整備の際、西側石垣部分で三重の石垣が発掘され、寺沢氏、山崎氏の築いた石垣を確認した。
一番奥の石垣が寺沢氏の築いた石垣で、一揆軍との攻防戦の跡が石垣表面に残っている。
二番目の石垣は、この石垣を隠すために急造されたものらしく、途中で壊れたと考えられる。
手前の石垣は、天草島原の乱後の領主である山崎氏が城の修復を行った際に築いたもの。
このように、富岡城の石垣は三重の構造となっており、その時代の歴史を垣間見ることができる大変貴重なものです。(現地案内板より)
寛永14年(1637年)10月28日(新暦12月14日)、藩による重税とキリシタン迫害に堪りかねていた天草の領民は、数日前に代官を殺害した島原の領民に呼応、共に天草四郎を盟主として蜂起し、島原・天草一揆が始まった。
富岡城代の三宅籐兵衛は1,500人の唐津藩兵を率いて、本渡に出向き一揆軍との戦闘が繰り広げられた。
しかし数に勝る一揆軍により11月14日(新暦12月30日)に三宅籐兵衛は討ち死にした。
11月19日(新暦1638年1月4日)、一揆軍は富岡に迫り城下町と城を攻撃した。
戦死した城代に代わり原田伊予が指揮を執り、猛攻によく耐え11月25日(新暦1638年1月10日)には一揆軍を撤退させた。
一揆軍は海を渡り原城に立て籠もる島原の一揆軍と合流し、天草での戦闘は終了した。
寛永15年(1638年)2月28日(新暦4月12日)、原城に立て籠もった一揆は鎮圧された。
しかし、一揆の勃発を許した堅高(唐津藩2代藩主)は天草郡を没収された。
なお、堅高は正保4年(1647年)に自害し寺沢氏は無嗣断絶となっている。
富岡城跡に復元した二の丸長屋を苓北町歴史資料館(観光交流センター)として開館。
富岡城に関する歴史や、天草島原の乱の解説や展示を行っている。
二ノ丸脇から見る本丸。
西隅櫓。
二の丸から本丸方面を望む。
城の横の二の丸に立てられた4人の銅像。
前の二人には「日本の恩人」、後ろの二人には「天草の恩人」と書いたプレートが像の土台に埋め込まれています。
「日本の恩人」の二人は勝海舟と頼山陽。
「天草の恩人」の二人は鈴木重成と鈴木正三。
「天草・島原の乱」後に天草の人々の年貢軽減を幕府に進言し、天草の復興に大きな貢献をした二人です。
高麗門脇から見た高石垣は見事。
本丸高麗門。
富岡城の地形が龍の横たわっている姿に似ているというので、別名臥龍城と呼ばれる。
本丸から見下ろす二ノ丸。
遙か海の向こうに見えるのは島原半島。
道の駅宇土マリーナ、日本渚百選「御輿来(おこしき)海岸」に隣接した雲仙普賢岳を眺望できる風光明媚なところにあり、絶好の休憩スポットとなっています。
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いずれも徒歩で約15分から20分。
富岡城へのアクセス、行き方歩き方
熊本県天草郡苓北町富岡字本丸2245-15
0969-35-0170 富岡ビジターセンター・富岡城
JR鹿児島本線、熊本駅下車の熊本交通センターからバス150分「本渡バスセンター」で産交バスに乗り換え、富岡港行バス約50分終点「富岡港」降車、徒歩20分。
本渡バスセンターまでは、島原、熊本、長崎からのフェリー利用、本渡港から徒歩15分で本渡バスセンター。
本渡港へは熊本港からフェリーで1時間、長崎の茂木港からも出ている。または、島鉄フェリー鬼池港より車で15分。