昭和7年創業、初代社長は栗林秋治郎さん。
元は長瀬の古本屋から始まり、後に現在の小阪本店に移りました。
そして、本店だけでは手狭になってきたため、文庫の店とレッド小阪店を順に展開。
東大阪の著名人である司馬遼太郎さんもこのサービスを利用していました。
司馬さんのエッセイ本「以下、無用のことながら」では、栗林書房が「駅前の書店」という見出しで登場します。
そのためか、司馬遼太郎記念館に訪れた人が寄ることもあるのだとか。
「わざわざ鹿児島からやってくる方もいらっしゃいましたよ。
司馬遼太郎記念館へのルート、八戸ノ里駅からのルートもある。
ウラ小坂、何ともレトロな名前。
河内小阪駅から南のアーケードに入り、少し東に入ったあたり。
若干分かりづらい路地。
高田川部屋所属「須磨の海」が「おでんとホルモン煮 須磨」を開店したのもこの路地。
理髪店を営む家主が廃材を用いて自力で建てた、自宅と店舗を兼ねた歴史的な背景の無い城郭風建築物。
まもなく司馬遼太郎の命日「菜の花忌」がやってきます。
住民こぞって司馬さんの好きだった菜の花を植えて記念しています。
司馬遼太郎記念館 菜の花が満開です
司馬さんの菜の花忌は2月12日に終了しましたが、今年は例年になく菜の花の生育が悪 … 続きを読む →
また、今年で生誕100年に当たります。
念財団」は、ファンを対象に最も好きな司馬作品についてインターネットでアンケート調査を行い、1567人から回答がありました。
調査の結果、最も人気を集めた作品は、『坂の上の雲』でした。
近代国家として歩み始めた、明治維新から日露戦争までの日本を松山出身の秋山好古・真之の兄弟と正岡子規の3人を軸に描いています。
「まことに小さな国が開化期をむかえようとしている」という書き出しも有名で、中高年や男性を中心に、全体の20%余りの支持を集めました。
次いで人気だったのは、幕末の志士、坂本竜馬の短くも劇的な生涯を描いた『竜馬がゆく』で、およそ15%の支持を集め、男女を問わずすべての世代で幅広い人気でした。
3番目は同じく幕末を舞台にした『燃えよ剣』。
新選組副長として剣に生き、剣に死んだ土方歳三が主人公です
小坂神社は、東大阪市下小阪に鎮座されています。
御祭神は、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)、受鬘神(うけのりのかみ)。
小坂神社略記によりますと、天正二十年(1592)、十八軒の家がこの原野開拓に当たり、水利至便、五穀豊穣を祈願する為、小坂神社を奉祀したのが小坂神社の起こりとされています。
弥栄神社(いやさかじんじゃ、やさかじんじゃ、やえじんじゃ、やえいじんじゃ)
創建年代は不明で元は牛頭天王と呼ばれていた。
その名からもわかるように御祭神は、須佐之男命です。
石山合戦で焼失し、1600年に再建。
1872年、現社名となっております。
木村重成、大坂城炎上の無念
重成が決死の覚悟をした場所か!
大坂夏の陣で木村重成は、大坂城の救援に向かう途中、この地で城の炎上を見、馬の上に立って城に別れを告げ、戦地へ引き返し戦死したことから、この地が馬立と呼ばれるようになったという。
乱世を生きた戦国武将最後の地を巡る 若江の戦い
八尾・若江の戦いは、豊臣家の江戸幕府に対する最後の抵抗を鎮圧するために行われた大 … 続きを読む →
この辺りは大阪空港への着陸コースに当たっており東からの航空機はすべて通過する。
今日は午前中は風もなく陽が射して暖かい日でしたが夕方になるにつれ曇りがちとなり風も出て寒い夕暮れとなった。
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