氷室神社 平通盛 小宰相惜別の地

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わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。
清盛が描いた夢の跡をたどってみた。
今回は平通盛 小宰相惜別の地 氷室神社。

平安時代の末期、付近には、清盛の異母弟である平教盛(たいらののりもり)の山荘があり、これが後白河法皇が幽閉された萱御所だとも伝えられ、一の谷の戦いでは教盛の次男、教経(のりつね)の陣所だったと伝えられている。

山の斜面の奥まった一角が氷室(ひむろ)神社である。
この神社には、仁徳天皇が祀られている。
また、平清盛が厳島神社から勧請したという弁財天も祀られている。

平清盛が福原遷都の際、兵庫七弁天の一社として市杵島比売を奉斎した。
平教盛がここに別邸を建て、後白河法皇を幽閉した場所であった。
真正面が本殿・れんあい弁天さま

源平合戦時には、平通盛と愛妻の小宰相が別れを惜しんだ場所である。
人もうらやむ睦まじさにあやかり「恋愛の神様」 「縁結びの神様」として信仰されている。
願成寺に平通盛と妻小宰相局の供養塔でがある。

境内の奥には、「氷室の瀧」があり、神戸で唯一の行場であったが、昭和40年頃 治山工事で水源が止められたので、 現在は瀧の水はない。

氷室稲荷神社は明治八年、京都伏見稲荷大社より稲荷神社を勧請した

氷室の名の由来は、日本書紀によると1600年ほど前、仁徳天皇の異母兄に当たる額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかのひこのみこ)がこの地で狩をしていた時、洞窟を発見した。

村長に「冬に取った氷を萱草で包んでおくと、夏になってもこの氷を使える」と聞き、仁徳天皇に氷を献上したことからきており、これより後、仁徳天皇を祀って創建されたと伝えられている。

氷室の上の岩に文字が掘ってあります。
夢野の地は、元来、禁野(イミノ)といい、昔高貴なお方の墓所(古図に「御塚」と記す。

香坂皇子の御墳墓と言われている)で殺生禁断の地でした。 
又、天子遊猟の御猟地があったことからも殺生禁断の地でした。

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氷室神社へのアクセス、行き方歩き方

住所:神戸市兵庫区氷室町2-7
TEL078-531-2833

JR神戸駅前より市バス11・65・123・150系統「夢野町3丁目」下車。北に徒歩約10分。

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