江戸時代には、徳川御三家の一つ水戸徳川家の居城であった。
茨城県指定史跡。
三の丸にある藩校・弘道館は国の特別史跡。
水戸市の中心部、水戸駅の北側に隣接する丘陵に築城された連郭式平山城である。
北部を流れる那珂川と南部に広がっていた千波湖を天然の堀としていた。
本丸の西側に二の丸が配され、さらに西に三の丸が配され、それぞれが空堀で仕切られていた。
また、城郭には石垣がなく、全て土塁と空堀で構成されていた。
徳川御三家の居城であったにもかかわらず、尾張藩の名古屋城、紀州藩の和歌山城に比べるとかなり質素で、防衛上の重要性がなかったためか城郭と言うよりはむしろ政庁としての性格が強かったようである。
昔の大手橋と弘道館。
現在はコンクリですがかつては木橋でした。
幕末にはこの橋を挟んで激戦があったんだとか。
この下は堀切ですが、今では道路になっています。
現在、震災の影響により建物内(正庁、至善堂等)には入れません。
弘道館の被災の様子を伝えるパネル。
第15代の将軍となった徳川慶喜公も、父斉昭公の厳しい教育方針で5歳の時から弘道館において英才教育を受けました。
慶応3年(1867年)の大政奉還の後、謹慎した至善堂(しぜんどう)が今も残っています。
幕末には水戸藩の藩論が分かれ、改革派の天狗党と保守派の諸生党の対立が起きた。
1864年(元治元年)、遂に天狗党が筑波山で挙兵し天狗党の乱が起こった。
この対立は明治維新まで続き、1868年(明治元年)には水戸城下で戦闘が行われ、弘道館に立て籠もる諸生党を天狗党が攻撃した。
この際に城内の多くの建物が焼失した。
弘道館は水戸藩の藩校として第9代藩主 徳川斉昭公により天保12年(1841年)8月に創設されました。
藩士に文武両道の修練をつませようと武芸一般はもとより、医学・薬学・天文学・蘭学など幅広い学問をとり入れた、いわば総合大学というべきものでありました。
安政4年(1857年)には鹿島神社と孔子廟(こうしびょう)を祀って弘道館の本開館式を行いました。
当時の藩校としては国内最大規模のものでした。
この弘道館を創立した徳川斉昭の夫人である文明夫人の歌碑。
徳川頼房公は、徳川幕府創始者である家康公の11男として慶長8年(1603)京都の伏見城で生まれた。
7歳の時に、徳川御三家の一つである水戸藩初代藩主となった。
その後、頼房公の治世は53年に及び、水戸城の大修築、下町の造成、城下町の拡張や全領検地をはじめ、水利事業や藩職制の整備など、水戸藩の基礎を確立し、現在の水戸市の街づくりに生かされている。
寛文元年(1661)水戸城中で59歳の生涯を閉じた。
諡は威公と称されている。
昭和天皇御製。
水戸市立第二中学校門脇に建つ彰考館(しょうこうかん)跡の碑。
彰考館(しょうこうかん)は、江戸時代に常陸国にある水戸藩が『大日本史』を編纂するために置いた修史局(史局)。
水戸市立第二中学校門脇に建つ「大日本史編纂之地碑」
安積澹泊は、2代藩主徳川光圀のもとで「大日本史」編纂の中心的役割を果たした学者。
水戸市立第二中学校の校庭に残る、樹齢400年以上の「水戸城跡の大シイ。
江戸時代の櫓は、二の丸に現在の茨城県立水戸第三高等学校と茨城大学教育学部附属小学校・附属幼稚園にまたがる形で存在した。
三の丸には藩校などがあり、本丸は主に倉庫として使用されていたとされる。
本丸を中心として使用していたのは江戸氏の頃とされる。
天守は建造されず、3重5階建ての御三階櫓があった。
現在の城跡は文教地区となっており、水戸一高の他、水戸三高、水戸市立水戸第二中学校、水戸市立三の丸小学校、茨城大附属小・幼稚園が建っている。
三の丸小学校は校門や塀、校舎の多くをレトロ調にしている。
一般公開状況
旧水戸城の城郭は、見学できる場所とできない場所に分かれている。
旧本丸 – 茨城県立水戸第一高等学校の敷地になっており、見学目的での立ち入りも可能。
旧二の丸 – 道路以外の学校敷地内には常時の立ち入りができない。
旧三の丸 – 水戸市立三の丸小学校を除き、弘道館は有料で、その他の敷地は無料で立ち入りができる。
水戸第一高校の敷地内に移築現存する城内薬医門。
本丸橋詰門であったと言われています。
戦国末期のものらしい。
農人形
万民の暮らしの礎となる農業を常に尊び奨励していた斉昭は、農民の辛苦を思いやり、その営みに感謝するために、お膳にのる農民の人形を作りご飯を一箸供えてから食事をとった。
その人形が農人形で、子女にもそれに習わせ、さらに後には水戸の伝統工芸品として製造され、一般の家庭にも置かれるようになったという。
大鳥居へと登る石段の脇に、この巨大な農人形は座している。
常磐神社
光圀、斉昭の遺徳を偲び両公を御祭神として、明治6年(1873)年に創建された神社。
境内にある博物館「義烈館」には、光圀が編纂を始めその後250年ほどにも及び歴代藩主に受け継がれて完成した『大日本史』の草稿や、天保年間に攘夷のために幕府に献上した斉昭自身の設計による大砲『太極』をはじめ、両公ゆかりの品々や水戸の歴史と水戸学と称された水戸で研鑽された学問の史料が多数展示される。
芝前門
好文亭から梅園~芝生広場への門
偕楽園東門からは、梅園を経て好文亭への入口
好文亭 中の門
好文亭への入口
好文亭(こうぶんてい)は徳川斉昭の造営した偕楽園内に建つ別荘。
そこは己ひとりの楽しむところではなく、衆と偕(とも)に楽しむところであった。
昭和33年(1958年)に復元された。
好文亭の名は、梅の異名である好文木(こうぶんぼく)に由来する。
仙奕台(せんえきだい)
見晴らしが最も良い場所。この辺りは風致地区に指定されており、電信柱がなく見晴らしが良い。
偕楽園の総面積は129,531m2だが、周囲3km余りの千波湖を含むこの一帯約300ヘクタールを偕楽園公園とし、規模としては日本一となる。
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水戸城へのアクセス、行き方歩き方
茨城県水戸市三の丸
JR常磐線「水戸」駅から徒歩約8分