朝日・夕日100選、釣り場として有名、明恵上人が修業したという刈藻島がある。
3時過ぎでまだ日は高い、片道30分くらいの距離だが行ってみることにする。
湯浅の街からは対岸の道を西へ進む。
端崎と霧崎という二つの岬を擁する海岸は、県立自然公園になっている。
湯浅駅からそこへ行くには、市街地を抜け川を渡り栖原坂の峠を越えていく。
このルートをバスも一応通っているが、本数は少ない。
栖原には、ユースホステルがある。
御崎へ向かう道路はたまに釣り人とか工事関係の車両が通るだけで歩いている人なんか誰もいない。
明恵上人が修行をしたといわれる刈藻島が見えてきました。
釣り人が一人います、確かにここへ沈む夕日はきれいだろう。
しかし、夕日を待つわけにいかない、来た道をまた引き返す、物好きだねえ。
朝日・夕日100選の碑が建っているので迷うことはない。
明恵は、鎌倉時代前期の華厳宗の僧。
法諱は高弁(こうべん)。
明恵上人・栂尾(とがのお)上人とも呼ばれる。
父は平重国。母は湯浅宗重の四女。
現在の和歌山県有田川町出身。
華厳宗中興の祖と称される。
萬福寺とお茶
萬福寺の総門は、1661年(寛文元年)の建立(重文)。 中央の屋根が高く、左右の … 続きを読む →
鎌倉時代の初め頃、住民が茶の種のまき方がわからず困っていたところ、京都西北部の栂尾・高山寺の明恵上人が馬で畑に乗り入れ、馬のひずめの跡に種を蒔くように教えたといわれています。
紅葉の高山寺を訪れる
高雄・槇尾・栂尾は三尾といわれ、いずれも京都市北西部の紅葉の名所として知られてい … 続きを読む →
明恵は建永元年(1206年)、34歳の時に後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられ、また寺名のもとになった「日出先照高山之寺」の額を下賜された。
この時が現・高山寺の創立と見なされている。
帰り道、山の中腹に城が見える。
康治2年(1143年)に湯浅宗重によって在田郡の青木山に築城された山城である。
代々湯浅氏が居城した。
湯浅城は要害として知られ、文安4年(1447年)に畠山氏がこの城を三度攻めてようやく落としたとされる。
城跡には土塁、曲輪等が残る。
青木山の向かいには城を模した湯浅温泉・湯浅城があり、4階の資料館には湯浅氏に関するものが展示されている。
炎天下をとぼとぼ歩き疲れた、茶屋に転がり込み一服。
これから大阪まで帰る、夕日に照らされた路地を撮りながら駅まで約30分。
今回の青春18切符の旅はこれで終わり、暑くてしんどかったが面白かった。
次の旅は何処へ行こうかな。
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