御苑での撮影をさっさと切り上げ、行列のおさまる平安神宮へ向かう。
曇りがちの天候で時折雨、どうやら北山は時雨れているようだ。
平安神宮応天門の前の広場です。
この場所が自由席なのです、向こうに見える大鳥居から続く参道には1席 2,050円 (全席指定・パンフレット付 )の有料席がズラリ。
ここはたぶん時代祭の大きな穴場だろう。
京都市地域女性連合会会員300名による時代祭奉祝踊りで後半の幕開けです。
花笠をかぶり揃いの衣装をまとって民踊列を披露、お年を召した方が多いように見受けた。
行列の船頭は京都府警平安騎馬隊。
今年から平安時代に治安を担当した官職・検非違使けびいしをイメージして西陣織の和装の制服を導入。
制服は萌黄もえぎ色の男性用と藤紫色の女性用の2種類、約240万円かかったそうだ。
平安神宮は平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として1895年(明治28年)創祀された。
社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小(長さ比で約8分の5)して復元したもの。
大きく赤く光る朱色が特徴的な正面の門は、朝堂院の應天門を模している。
行列は平安神宮をスタートし、平安神宮へ帰ります。
京都で生涯を終えた最初と最後の天皇、桓武天皇・孝明天皇は、二基の鳳輦にご神霊をうつされ毎年この時に市中の繁栄を眺めて都大路を巡られる。
綿密な時代考証を重ねられた衣装、祭具、調度品は1万2000点にも及び、京の伝統の技をもってそれぞれの時代を細部まで再現されており、その豪華絢爛な行列はまさに“生きた時代絵巻”です。
朱色に輝く応天門と時代衣装を重ね合わせれば平安の古都が甦る。
画像は近衛忠熈 (このえただひろ)、孝明天皇の左大臣になった後、事変で官を辞して仏門へ入り、後に還俗して関白となる。
ここでは関白の束帯姿で随身と舎人(とねり)を従えています。
続いて七卿落、三條實美(さねとみ)ら急進派の公卿らが、長州藩等の攘夷派の志士と討幕を企てるも、穏健派との政争に敗北。
この行装は、七卿が夜の雨の中を真木和泉や久坂玄瑞に護られながら長州に落ち延びた様子を表す。
徳川幕府は朝廷の大切な儀式などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くしていた。
特にご即位の大礼には将軍家名代が、煌びやかな装いをした多数の従者を伴った豪華な行列でした。
行列の先頭の槍持、傘持、挾箱持の掛け声や奴のパフォーマンスがみどころで、当時の行列を彷彿とさせる。
真綿紬の小袖姿の玉瀾(ぎょくらん)、画家・池大雅の妻であり、本人も和歌に秀でた画家として有名。
また、行列の後で登場するお梶(祇園梶女)の孫にあたる。
京都の銀座で巨万の富を築いた中村内蔵助の妻。
漆黒の着物姿と背後の腰元(侍女)の華やかさとの対照的な様子は、彼女が衣装比べの際に大きな賞賛を得たエピソードにちなむ。
大田垣蓮月、京都出身、江戸末期の歌人。
蓮月と名乗ったのは尼になってから、ここでは娘時代の姿を再現。
出雲阿国、出雲大社の巫女と称し、四条河原で念仏踊りを演じたのが歌舞伎の起源と言われる。
巫女の旅姿で、後ろに弟子を連れています。
室町洛中風俗列、風流傘を中心に笛や鉦、音頭取り、子役による太鼓打ち等の「中踊り」と、小袖姿で竹製のささらを持って踊る「側(がわ)踊り」で構成される。
鼓打ちの様子。
子役も健気に踊りを披露、かわいいね。
桂女、洛西の桂から、鮎や飴を売りに出たり、婚礼や出産の際には祝詞を唱えるなど、巫女としての役割も果たしていた。
室町頃の小袖姿に「桂包」姿で登場。
続いて大原女、洛北の大原から京の街なかへ薪や炭などを売りに出ていた。
この列では室町末期頃の姿です。
大原女の時代毎の衣裳は初春の大原の里で大原女時代行列で紹介しています。
中世女人の旅姿の藤原為家の室、『十六夜日記』の筆者で、子息・為相(ためすけ)の所領訴訟の為に天下りした。
静御前、源義経の愛妾で、悲劇の女性として知られる。
平安末期から女人の舞装束・白拍子の姿です。
横笛、建礼門院の雑仕女。
袿(うちき)に市女笠の旅姿で、出家した斉藤時頼の後を追っている様子。
常磐御前、源義朝の側室。
義朝が平治の乱で戦死した後、子供達の助命を平清盛に乞うため雪中を六原に向かう姿を表す。
連れているのは今若と乙若、牛若は常磐の懐にいます。
小野小町、六歌仙・三十六歌仙の一人に数えられる。
出羽国の群司・小野良貞の娘で、才色兼備であったといわれています。
神像等から考証し、ここでは唐風の残る平安初期の女官の礼服姿です。
和気広虫、平安時代初期に活躍した和気清麻呂の姉で、我が国において孤児院の起源をなした。
唐風を色濃く残す規定外の平服姿です。
延暦武官行進列は東征を終えた坂上田村麻呂が平安京に凱旋する様子を表現。
主将や副将など身分に順じた衣装や武具は、正倉院御物や古墳の出土品等による考証がなされている。
鍬形兜や星兜をはじめ金小礼沢瀉威挂甲、銀小礼挂甲、纛旛(とうばん)など価値のある行装の数々を鑑賞できます。
平安遷都から間もない頃のため唐風が色濃く残されており、位袍と呼ばれる朝服は、身分によって色が定められている、応天門の朱色と合います。
前の御鳳輦(ごほうれん。江戸後期の様式)に西本殿の孝明天皇、後の御鳳輦に東本殿の桓武天皇が鎮まっており、一年に一度、市中を巡幸して市民の安らかな姿を親しくご覧になります。
時代祭の中で主たる意義を持つ列です。
錦蓋、菅蓋。
最後は白川女献花列、比叡山から流れる白川流域に住み、季節の花を売り歩くのを業としていた。
平安時代中頃から御所に花を届けていたともいわれています。
本列では、神前に供える花を頭に乗せています。