建物は安藤忠雄によって設計され、1,400年の歴史を刻む日本最古のダム式ため池である狭山池と一体化した親水空間を有する土地開発史専門の博物館。
狭山池は、飛鳥時代(7世紀前半)につくられた、1400年の歴史を刻む日本最古のダム式ため池。
現在もなお280万立方メートルの貯水量を誇る大阪府下最大のダムとして利用されている。
桜の名所であった、かつての狭山池を取り戻すべく、募金により千本の植樹も行われ、その数は年々増加している。
土木遺産の保存と公開を目的として、2001年に開館した。
一階エントランス。
エントランスからのアプローチは結構長い。
建物に足を踏み入れると、まずはじめに一番の見所である水庭が現れる。
この水庭には、屋根上の水盤から大量の水が流れ落ちる、迫力のある滝が形成されており、水面を打つ轟音は外にまで鳴り響いている。
エントランスは3階にあたり、一旦エレベータで下まで降り、再び会談で上がるという何とも迷路のような構造。
意味不明の庇のようなものの下に見えているのが入り口。
円形のコートの下からの眺め、光芒がきれい。
安藤忠雄さんの設計だが、少し大げさすぎる感じがする、事実ネットでも批判記事の書き込みが見られる。
建設費も維持費も相当なものだろう、それにしても見物人は少なすぎる。
ただ、芸術、文化は贅沢の中にある、難しい問題だ。
この巨大な壁みたいのがここのメインの展示物。
実物を移転した、ため池北堤断面
こうして断面にすれば、時代ごとに築かれた部分がわかり、またその堤防の内部がどんな構造になっていたかもわかる。
ここで興味深いのはその盛り土が敷葉工法と呼ばれる、枝付きの葉をたくさん土の間に挟んだ構造になってるということ。
この敷葉部分が余分な水分を排出し、また堤防が崩れることを防いだとある。
また同様の工法は朝鮮半島や中国にも存在したという。
過去の改修には、奈良時代の行基をはじめ、鎌倉時代の重源、江戸時代の片桐且元など、多くの歴史上の重要人物が携わってきたといわれる。
画像を拡大して見ていただくと断面にキラキラ光るものが見えると思うが、各時代の改修部分を示すガラス玉が埋め込んである。
飛鳥時代の東樋(大阪府指定文化財)。
東樋取水部はここから東除川に水を送った施設。
天平宝字期の東樋には継ぎ目部分に往時の苦労と工夫が偲ばれる。
中樋取水塔、これは近代遺物として保存されているコンクリート製の取水塔、池堤中央にあって狭山扇状地を灌漑した施設。
狭山池博物館へのアクセス行き方歩き方
大阪府大阪狭山市池尻中2丁目
072-367-8891
南海高野線 大阪狭山市駅から徒歩約10分