心合寺山古墳 (しおんじやまこふん)に向かう途中、レンゲ畑を見つけた。
昔はどこでも見られる春の風物詩だったが・・・
レンゲソウは、根っこのところどころにある「根粒」というこぶに「根粒菌」という細菌をすまわせ、根粒菌から養分をもらっている。
根粒菌には、空気中の窒素を植物の使える形に変える特別な能力がある。
これを「緑肥(りょくひ)」として利用しているのだ。
非常に難しい字を書くが、飛鳥時代、この古墳の西側に心合寺(しんごうじ)とよばれる寺院ができた。
この古墳の名の由来といわれる。
しかし、この寺はいつしか無くなり、また、名前の言い回しも訛ってしまい、「しおんじ」になってしまったと考えられている。
古墳時代の中期、5世紀初め頃に作られたといわれる。
当時このあたりを支配していた豪族の墓と考えられている。
また、生駒山地の麓に等高線に沿うように築かれて、周濠は南側と北側の2か所で堤を造って区切られているため、その東西で水位の異なる珍しいつくりとなっている。
キリ(桐、学名: Paulownia tomentosa)は、シソ目のキリ科 Paulowniaceae。
以前はゴマノハグサ科に分類していた(あるいはノウゼンカズラ科)。
キリ属の落葉広葉樹。漢語の別名として白桐、泡桐、榮。
昔、農家では女の子が生まれると庭に桐の苗木を二本植え、その子が成人してお嫁入りするときに桐を伐採し、その材料で桐タンスや長持を作ってもらい嫁いだと云います。
桐は家具材に適すると同時に成長が早く、15~20年経つと成木となり家具材として使えるように育つことから、こうした風習が根付いたようです
火事のときに桐タンスは黒焦げになったが、中の着物は無事だったという話が語り継がれています。
これには、桐がもつ二つの特性で実証することができます。
一つは、桐は熱伝導率が極めて低く着火点が高いので、表面が焦げても中まで火がまわるのに時間がかかるからである。
金庫の内部が桐で出来ているのはそのためで、外側の鉄板が炎で真っ赤に焼けても、 内部が桐で出来ていれば断熱効果にも優れるので重要書類や紙幣などが自然発火しにくいのである。
二つ目は、他の木材に比べ吸水性に優れるので消火の水を直に吸収してしまいます。
たくさんの水を含むと当然燃え難くなり、同時に木が膨張するので引出しや扉の隙間をふさぎ、 タンスの内部に消化の水が入るのを防ぎ、大切なモノを守ることが出来ます。
昔から、火事になったら桐タンスに水をかけろと云われたのもこうしたことからで、桐という素材を知り尽くした先人達の知恵が伝わります。
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