仁和寺は光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御した。
遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、「西山御願寺」と称されたが、やがて年号をとって仁和寺と号した。
宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、当寺には「御室(仁和寺)御所」の別称がある。
仁和寺の玄関、正門にあたるのが「二王門」です。
門の左右に金剛力士像を安置していることからこの名があり、寛永~正保年間に建造されました。
とても重厚な造りで、南禅寺三門、知恩院三門とともに京都三大門のひとつに数えられ、重要文化財にも指定されています。
口が開いているのが「阿形(あぎょう)」
口を閉じているのが「吽形(うんぎょう)」
「阿吽(あうん)の呼吸」とか「阿吽(あうん)の仲」とかよく言いますが、そもそもあうんてどういうことなの?
阿吽(あうん)は仏教の呪文(真言)の1つ。
悉曇文字(梵字)において、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。(wikiより)
玄関先では御室流の生け花がお出迎えしてくれす。
当寺は宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもあるのです。
木漏れ日がとても印象的でした。
仁和寺所蔵の国宝 朱雀明王像は雲中の蓮台に降り立つ朱雀の背に坐した姿は、他では余り見られない特異な姿だそうです。
白書院 、本来白木の柱を用いたところからこの呼び名があり、非公式の対面所として使用されていました。
三室の襖絵はすべて松を画題としておりこれは昭和12年(1937年)に福永晴帆画伯によりかかれたものです。
よく見るとかわいいリスが描かれています。
黒書院の前のお庭。
青もみじと赤もみじのコントラストが美しい。
宸殿、蔀戸、縁、高欄。
庭に下りる階段。
北庭、池の向うに見える建物は、仁和寺に二つ有る茶室のひとつの飛涛亭。
後方に五重の塔が見える。
宸殿(しんでん)の板戸。
襖絵は大正2年、原在泉画伯によるもの。
大堰川三船之図。
「鷹野行幸図」。
「桜花」。
花鳥画「孔雀と牡丹」
霊明殿、須弥壇、歴代門跡の御霊(位牌)を祀る。
本尊は薬師如来坐像を祀る。
「霊明殿」内に安置されている霊明殿の本尊「薬師如来坐像」は康和5年(1103年)に円勢と長円によって造られた仏像で、二重の厨子の奥深く秘匿され厳重な秘仏とされていたようである。
昭和61年(1986年)に学術調査のため初めて開扉されたが、保存状態のよいのに驚いたという。
現在も厳重な秘仏になっており、直接の拝観は不可能で公開されることはない。
この仏像は香木の白檀を用いた本来の意味の檀像であり、彩色は最小限にとどめられており、高さ10cm余りの小さな像であるが彫刻は極めて精緻で一切の手抜きがないという。
この「薬師如来坐像」は国宝に指定されている。
「霊明殿」正面中央奥には、本尊「薬師如来坐像」の複製像がお前立ちとして安置されている。
霊明殿、扁額「霊明殿」は公家で政治家の近衛文麿(1891-1945)筆。
1945年1月、近衛は仁和寺を訪れ、国体護持のための終戦工作を行った。
戦後、占領軍により戦犯容疑者として逮捕される直前に服毒自殺した。
朱塗りが少し色褪せた中門には向かって左側に多聞天(たもんてん)像、右側に持国天(じこくてん)像が納められている。
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仁和寺へのアクセス、行き方歩き方
京都市右京区御室大内33
JR『京都駅』下車後、市バス26号系統に乗車し、『御室仁和寺』で下車、徒歩すぐ。
京福電鉄北野線『御室仁和寺駅』下車後、徒歩約3分。