佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に、およそ50ヘクタールにわたって遺構が残る、弥生時代の大規模な環濠集落跡。
報道がなされた当初は邪馬台国に関係する遺跡ではないかとも見方もあり、一部で九州王朝説も取り上げられた。
今回の旅は名門大洋フェリー2便、「フェリーふくおか2」、7時過ぎ、国東半島沖で夜明けを迎えた。
東口メインゲートを入るとまずここで12分間のビデオの時間を見た後、田出川に架かる天の浮橋を渡って園内に入ります。
物見やぐらや二重の環濠など防御的な性格が強く日本の城郭の始まりとも言えるもので、2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(88番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。
ゲートの前では冬桜が可憐な姿を見せていた。
吉野ヶ里集落の、当時の東の正門と考えられている場所です。
外壕を埋め立てて土橋を造り、その内側には大きな門を備えていたようです。
また、門の両側一帯には、敵の侵入を防ぐための特別な仕掛け(逆茂木)があったと考えられており、この場所の重要性がよく分かります。
吉野ヶ里歴史公園では大切な遺跡を守るため、遺構面の上に30cm以上の保存盛土をし、さらに整備に必要な盛土をその上に行っています。
こうして大切な遺構を壊さずに、当時あった場所の真上に復元することができるのです。
弥生人(?)がお話を・・・
園内に入るとボランティアガイドが説明してくれます。
まず、物見やぐらから全体を俯瞰してみる。
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に記された楼観(ろうかん)跡と推定される物見やぐら跡。
内壕の内側で発見されました。
吉野ヶ里遺跡は、周囲に小さな集落がいくつもあって、それらを統括していた中核集落と考えられています。
物見やぐらは外からの侵略者を監視する見張り台だったようです。
復元された物見やぐらは床高6.5m、高さは12m。
佐賀平野を遠くまで見渡せます。
今いる場所、南内郭 ~王たちの住まい~
吉野ヶ里が最盛期を迎えた頃、吉野ヶ里の集落を始め、周りのムラムラを治めていた王やリーダー層の人々が住んでいた場所と考えられています。
南のムラ
弥生時代の吉野ヶ里集落の一般の人々が住んでいた地域と考えられています。
倉と市
海外との交易品や日本各地のクニグニの特産品などが集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていたと考えられる倉庫群などが集まった、吉野ヶ里を支える重要な場所であると考えられています。
支配者層(「大人(たいじん)」)の妻の家
各エリアの入り口の上部の木製の鳥
弥生時代、鳥は稲などの穀物の霊を運んできたり、悪霊から守ってくれるシンボル(神の使い)とされていたようです。
北内郭 ~神への祈り~
吉野ヶ里集落だけでなく、吉野ヶ里を中心とするクニ全体にとって、最も重要な場所であったと考えられています。
田植えや稲刈りの日取りを決めたり、季節ごとのお祭りの日を決めたり、また大きな「市」を開く日取りを決めるなど、吉野ヶ里を中心とするクニ全体の重要な物事についての儀礼的な話し合いと祖先への祀りが行われていた場所と考えられています。
鍵形に折れ曲がった入口
真っ直ぐ入ってこられないように鍵形に折れ曲がった構造をしています。
こうした造りは古代中国の城郭都市に多く見られ、吉野ヶ里が大きな影響を受けていることを示しています
主祭殿
吉野ヶ里のクニ全体の重要な事柄を決める会議を行ったり、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、中心的な建物と考えられています。
最上階に最高司祭者(巫女)が祖霊と交信。
頭に蔓を巻き、手に小笹を持ち、琴の音に合わせて神がかり、剣と鏡、玉で交信の祭具とするという考えのもとに復元されています。
この結果は従者によって2階で会議を行っている王やリーダーたちに伝えられます。
主祭殿2階
吉野ヶ里のクニ全体の重要な祀りが開かれており、吉野ヶ里の王やリーダーたち、さらには周辺のムラムラの長が集まっています。
竪穴住居(従者の住まい)
北内郭で唯一の竪穴住居です。これは最高司祭者の最も身近に仕え、その世話に当たる従者の住居であったと推定しています。
床を掘り下げた半地下式の建物です。
外見は、屋根を伏せたように見えます。
斎堂
東祭殿と主祭殿の間にある高床の建物。
主祭殿の祀りの前に身を清めたり、祀りの道具を保管する場所として使われていたと考えられています。
北の墳丘墓の南面には土饅頭の下に甕棺墓(少し盛り上がっている)が列をなし、雲仙岳にラインを合わせるように配置されています
甕棺墓列の内部の様子。
北墳丘墓 ~神が宿る~
吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられています。
このお墓は、人工的に造られた丘で、違う種類の土を何層にも積み重ね、しっかりと突き固められて造られており、とても丈夫な構造になっています。
中からは14基の甕棺が見つかり、ガラス製の管玉や有柄把頭飾銅剣が一緒に収められているものもありました。
このお墓は、弥生時代の中頃、紀元前1世紀のものですが、その後はお墓としては使われなくなり、その代わり祖先の霊が眠る場所として、人々から大切にされていたようです。
手前のポールは立柱と言って祖先の霊が宿る柱と考えられており、シンボル的な役割を果たしていた。
その方向は雲仙岳に向かっているとのことです。
北墳丘墓の発掘当時の写真。
甕棺への埋葬の仕方を示したパネル。
北墳丘墓内部の様子。
これらの甕棺は本物です。
甕棺にはこのように葬られていた。
東祭殿
夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上にある高床の建物です。
太陽の動きを知るための建物で、ここでは季節ごとの祀りが行われていたと考えられています
展示室内部、首から上が無い遺体。
成人用甕棺と小児用甕棺。
ムラの長の一家。
1つの竪穴式住居は2,3人だけで使っていたようです。
このように背振山を背景に有明海に望む、台地に弥生時代中期頃に集落を形成してから弥生時代終末期まで存続した吉野ヶ里集落を主導していた人々は忽然とその姿が見えなくなるようです。
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吉野ヶ里遺跡へのアクセス、行き方歩き方
問い合わせ先 (財)公園緑地管理財団 吉野ケ里公園管理センター TEL 0952-55-9333
JR長崎本線吉野ヶ里公園駅または神埼駅から、徒歩15分
JR長崎本線吉野ヶ里公園駅または神埼駅から、タクシー利用で5分