宍道湖畔にそびえる古風な天守 松江城

地域

松江城は日本に12ヶ所残る現存天守の一つで、その様式は望楼型の古風な様式、初期天守がそのまま発達した形態である。
宍道湖北側湖畔の亀田山に築かれ、日本三大湖城の一つでもある。

別名・千鳥城。
天守が現存し、国の重要文化財に指定されている。
この他に日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれている。

関ヶ原の戦いの戦功により出雲・隠岐24万石を封じられた堀尾吉晴(ほりおよしはる)は、月山富田城(がっさんとだじょう)(安来市)に入城したが、軍事・経済の中心に適さないとして、1607年(慶長7)に松江の亀田山に築城を開始した。

堀尾氏は3代忠晴に世継ぎがなく途絶え、京極忠高(きょうごくただたか)が入城したが嫡子がなく断絶。
1638年(寛永15)信州松本から松平直政(まつだいらなおまさ)が入封し、以来松平氏が10代230年、明治維新まで続いた。

松江城を築いた初代松江藩主・堀尾吉晴公の銅像。
2013.6.16除幕式が行われたばかり。

大手前広場から 二ノ丸南端部分。

大手柵門跡から馬留跡。
右手側に大手門があり、枡形を形成している。
左手、二ノ丸石垣上に見えるのは太鼓櫓。

大手門跡。
地面には当時の門の基礎が象られている。

二ノ丸への石段を進む。

分銅の形をした記号は、松江城を築いた堀尾家の紋。
刻印は、工事の分担や石切場の区別、合わせ印など土木工事を円滑かつ組織的に行うために付けられた記号と考えられる。

登城途中で武者の出迎え、最近の城址探索ではこのスタイルをよく見かける。

一の門手前の石段、紅い紅葉がきれい。

一の門が場内への入り口受付になっている。

天守からは宍道湖が望まれる、夕日で有名な嫁ヶ島も見える。

天守台と宍道湖を望む。

天守は望楼型の古風な様式。

松江城の天守は五層六階の望楼型天守で、高さは約30メートルあり、その平面規模は現存12天守の中では、姫路城天守に次ぐ規模を誇る。

南面に大きな付櫓が付属。
下見板張りの外観から無骨な印象を受けます。

北の門跡から本丸を出る。

水の手門は中曲輪と腰曲輪に至る間に築かれた。
水の手門跡の石垣をはじめ本丸北側の石垣は苔むし、足を運ぶ人も少なくひっそりと往時を伝える。
画像は本丸北側の腰曲輪石垣。

下りてすぐ左側に中曲輪と北の丸を分ける谷間に位置する馬洗池がある。

松江城築城時、表鬼門の石垣がいくら積んでも崩れた。
城主堀尾吉晴は最も崩れの酷い個所を徹底的に掘らせたところ、頭がい骨とそれを貫く錆びた槍の穂先が現れた。

吉晴はすぐさま神主を招き二夜三日にわたって大祈祷を行わせ石垣は無事築くことができた。

掘った穴からは澄んだ水が豊富に湧き出し、城内の人々の喉を潤した。

掘った所が城の中心だったので、「ギリギリ井戸」と名付けた。
「ギリギリ」とは、頭のつむじを指す方言である。

城山稲荷神社の石段と隋神門。
小泉八雲は通勤途上に散歩がてら、ここ城山稲荷神社に立ち寄りました。
当時二千以上を数える石狐があったのを、八雲は大変珍しがっていたようです。

なかでも隋神門前にある大きい石狐は特に気に入ったもののようです。

塩見縄手(旧武家町) – 北部堀周辺の、松江藩家老の塩見家の屋敷があった地区。
松江市伝統美観指定地区になっているほか、日本の道100選に選ばれている。

武家屋敷、明々庵、小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、田部美術館など。

地名は、かつて通りの中ほどにあった松江藩中老で町奉行の塩見小兵衛の屋敷に由来するとされる。
堀端に連なる老松の大木は江戸時代当時のものである。

この武家屋敷も、約275年前の松江藩中級藩士が屋敷替えによって入れ替り住んだとこ。
刀だんすやお歯黒道具をはじめ当時の家具調度品、生活用具などを展示している。

玄関から座敷まわり、主人居間のあたりは立派な造りになっているのに対し、私生活部分は質素にするなど、公私のけじめをつけていた武家の暮らしぶりが偲ばれます。

奥方の居間の様子。
丸鏡を鏡台にかけ、油・おしろい・かんざし櫛などを入れた化粧箱をそなえている。

既婚の妻女はすべて歯を黒く染める風習があり、鬢盥(びんだらい)を中心に各種の小道具があった。

湯殿、台所等々質実剛健、私生活部分の質素な造りが伝わってくる。

盛り砂、日本刀は普段使わないでいると切れ味が悪くなるため、いざ!刀を使うときには、この盛り砂を数回切つけ切れ味を良くする為に使用する。

結構広い庭もある。

長屋門は武家屋敷の特徴のひとつで、中間(ちゅうげん)の住居としても使われていた。道路側には物見窓があり、外部に対する防備のひとつとなっていた。

小泉八雲記念館
名作「知られぬ日本の面影」など松江を世界に紹介した小泉八雲の自筆原稿や遺品、 妻セツの使った英単語覚え書きなど、収蔵品は1千点以上におよびます。
八雲が愛用していたキセルや文机は、文豪八雲の執筆の様子を思い起こさせます。

有名な来日時の後ろ姿、
松江では1年3ヶ月という短い滞在でしたが、滞在中、妻となる小泉セツとの出会いもありました。

遺髪塔
昭和46年、八雲の三男、故清氏のアトリエで八雲の遺髪がみつかった。
これは、セツ夫人の筆蹟でうわがきがあり、八雲の研究家であった太田三郎博士も八雲のものに間違いないとのことで、遺族によって故地松江にもたらされ、この塔のなかに安置した。

塔のかたちは、八雲が特に興味をもっていた古式五輪塔を模したもので、八雲は「知られぬ日本の面影」などに、これを愛情をもってくわしく記している。

小泉八雲が教鞭を取った島根県尋常中学校の礎石が撤去時に移築されここに展示されている。

『怪談』や『骨董』などの著作で知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と元松江藩士の娘セツが、明治24年5月から11月までの約6ヶ月間新婚生活を過ごした邸宅。

ギリシャ生まれのイギリス人であった八雲ですが、何事も日本風を好み、この庭のことも大変気に入っていたそうです。

浴衣に下駄というスタイルで庭を散歩したり、居間として使用していた部屋から三方の庭をゆったりと眺めるのが好きだったといいます。

お堀端に建つ小泉八雲胸像。

松江堀川遊覧船、松江城を取り囲むお堀を約50分かけて周遊します。

画像上方の北惣門橋は明治中期に石造アーチ橋に架け替えられ使われてきましたが、松江城の入り口にふさわしい橋として、様々な史料をもとに木橋として架け替えられました。

なお、城の周りを囲む堀川は宍道湖とつながっており薄い塩水(汽水域)である。

松江城下に唯一現存の武家屋敷の長屋門と石畳を図案化しアルファベットで囲んでいる。

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松江城へのアクセス、行き方歩き方

住所:松江市殿町1-5
電話:0852-21-4030(松江城山公園管理事務所)

•JR山陰本線「松江駅」からレイクラインバス10分、松江城「大手前」下車
•一畑電鉄「松江しんじ湖温泉駅」から徒歩20分
•一畑電鉄「松江しんじ湖温泉駅」から市営バス(北循環線内回り)5分、「県庁前下車」徒歩5分