山号は楊柳山、本尊は弥勒菩薩、開基は役小角と伝える。
室生寺の西の大門に位置する。
宇陀川岸の自然岩に刻まれた彌勒磨崖仏があることで知られ、枝垂桜の名所としても知られる。
桜の時期に訪れた時の記録
大野寺 磨崖仏と小糸枝垂桜
大野寺(おおのでら、おおのじ)、山号は楊柳山、本尊は弥勒菩薩、開基は役小角と伝え … 続きを読む →
境内の桜は台風の爪痕か幹となる枝が切り落とされ寂しい枝ぶりでした。
宇陀川をはさんだ対岸にある弥勒磨崖仏は、「石仏縁起」(万治2年・1659年)や「興福寺別当次第」によれば、興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたもの。
像の向かって左手の岩壁下方には円形の区画内に種子曼荼羅(尊勝曼荼羅)を刻む。
石仏は岩盤からの地下水の滲出等で剥落の危険があったため、1993年から1999年にかけて保存修理工事を実施。
岩表面の苔類の除去や地下水の流路を変える工事などが行われた。
史跡指定名称は「大野寺石仏」。
大野寺は宇陀川沿いの景勝の地にあり、近鉄室生口大野駅方面から室生寺へ向かう際の入口に位置する。
伝承では白鳳9年(681年)、役小角(役行者)によって草創され、天長元年(824年)に空海(弘法大師)が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したという。
役小角は修験道の開祖とされる伝説的要素の多い人物であり、空海が堂を建立との話も創建を宗祖に仮託した伝承とされており、創建の正確な経緯は不明である。
寺の境内からの眺望。
この時期オオデマリが今を盛りと咲いていました。
境内にある説明板
『史跡 大野寺おおのじ石仏
この石仏は、鎌倉時代の初期、承元三年(1209)三月六日、後鳥羽上皇が石仏開眼供養のため、御幸されたことによって、その造像年代をうかがい知ることができるものであり、笠置寺かさぎでら本尊弥勒菩薩磨崖仏を模したものとされている。
石仏は大野寺(おおのじ)の東、宇陀川を前に西面して峙立する流紋岩質溶結凝灰岩の大岩壁に二重円相光背を彫り凹め、その面に薬砥彫影線で現わされている。
羅髪は鯖状に、眉目は全部彫り下げ、口は輪郭を刻む。
首は三道を現し、総身袈裟を纏い、右手垂下して、施無畏印、左手屈腎掌上外にして、第一、第二指を念じ、斜め右を向いて割蓮筆座上に立つ総長約11.5mの巨像である。
開眼供養の際、後鳥羽上皇や公家たちの筆になる願文類を石仏体内に納めたと記録されているが、これを裏付けるかのように、大正五年の調査で小巻子を検出したが朽ちていたため開くことができず再び胎内に戻されている。
このように造像年代が知られ、巨大であるばかりでなく、政策も秀れているということから、対岸の大野寺境内地などを含めて、昭和九年(1934)十一月十日史跡に指定された。
向かって左手の河岸にも石仏の線刻画が見られる。
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