和泉式部の恋の道をたどり貴船へ

京都府

恋多き女和泉式部

恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。
また同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評された(『紫式部日記』)。
真情に溢れる作風は恋歌・哀傷歌・釈教歌にもっともよく表され、殊に恋歌に情熱的な秀歌が多い。

貴船神社は縁結びの神様として知られ、夫である橘道貞の愛を取り戻そうと思い悩んだ和泉式部が貴船神社の奥宮に参拝したと伝えられている。

古来より雨乞の社として名高い当社には、畏くも歴代天皇様より日照りには黒馬、長雨には白馬又は赤馬をその都度献げて御祈願される例になっていました。
しかし、度重なる御祈願のため、時には生き馬に換えて馬形の板に色をつけた「板立馬」を奉納したと平安時代の文献である「類聚符宣抄」は伝えています。

和泉式部と貴船神社

この「板立馬」こそは今日の絵馬の原形と言われています。
この故事にならい、かつて和泉式部が復縁を、平實重が蔵人昇任を、大宮人が加茂競馬の必勝を、そして源義経が源氏再興を、それぞれ大神様に祈ったように皆様方の心の願いを一枚の絵馬に託してご祈願なさいますよう。

この桂は、樹齢400年、高さ30メートル。根元からいくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がっています。
これは御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て、貴船神社の御神徳を象徴し、まさに御神木と仰がれる由縁です。

お神水の左側、水占斎庭があり、水に浮かべるとお神水の霊力によって文字が見えてくるおみくじがあります。

水占のおみくじは浮かべる前には文字が見えないので、箱の中から好きな1枚を選びます。
おみくじは乾くと再び文字が見えなくなります。

境内では神水を入れる容器を売っている。

天津磐境(あまついわさか)とも呼ばれ、昭和の作庭家の第一人者、故重森三玲(しげもり みれい)氏が、昭和40年に古代の人々が神祭りをおこなった神聖な祭場「天津磐境」をイメージして作った石庭です。

恋の道を奥宮へと

貴船川から産出する貴船石は緑色や紫色の美麗な水成岩で、庭石、盆栽石の名石としてその数も少なく珍重されています。

和泉式部日記で有名な和泉式部は平安時代を代表する女流日記文学の作者であり、小倉百人一首にも歌が収められている歌人でもある。

貴船神社は縁結びの神様として知られ、夫である橘道貞の愛を取り戻そうと思い悩んだ和泉式部が貴船神社の奥宮に参拝したと伝えられている。
和泉式部が通ったその奥宮までの道が恋の道となっている。

貴船神社中宮 「結社(ゆいのやしろ)」
貴船神社、本殿よりさらに貴船川沿いをさかのぼること約300メータのところにある「結社」は是非とも訪れてください。

ここには「恋を祈る神様」 - 「磐長姫命」を奉っております。
縁結びの神社です。
当日はあいにく工事中で参拝できませんでした。

和泉式部が貴船神社に参拝したときの歌が後拾遺和歌集に収録されている。「男(夫の藤原保昌)に忘れられている頃、貴船神社に参拝し、御手洗川に蛍が飛んでいるのを見て詠んだ短歌」として、

ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞみる
(意訳:恋しさに悩んでいたら、沢に飛ぶ蛍も私の体から抜け出した魂ではないかと見える)”という歌である。

それに対して貴船明神が返したと伝えられる短歌
おく山に たぎりて落つる 滝つ瀬の 玉ちるばかり ものな思ひそ
(意訳:奥山にたぎり落ちる滝の水玉が飛び散るように、(魂が飛び散ってしまうほど)思い悩んではいけない)”

後の時代に書かれた『沙石集』には、このときの参拝の様子が詳しく書かれている。
和泉式部は巫女に縁結びの祭を行わせたが、その時巫女の託宣で、衣の裾をまくり上げ性器をさらけだして、「見よ、我が魅力っ!」とやったというが本当かな?!。

勧める巫女も、自信満々応じる和泉式部もどうかしているが、もっとだらしない役割を演じたのは保昌の方であった。
妻の様子がおかしいと後を尾けてきて、物陰から一部始終を見ていたのだが、あまりの様子に興奮したのか恐れ入ったのか、おろおろと顔を出し、「参りましたっ!」と復縁を願い出たのである。

別の伝では、巫女が見本を示し、和泉式部はさすがに恥ずかしがってやらなかったことになっている。
どちらが本当かはわからない。

当時は奥宮が本社で、参拝者はこの谷川で手を洗い、口をすすぎ、身を清めてから参拝しました。
この谷川は禊(もそぎ)の川、物忌(ものいみ)の川だったのです。

和泉式部もここで身を清めて恋の成就を祈ったのしょう。

契の川だった「おものいみ川」が和泉式部の恋の話と重なり、いつのころからか「思い川」と呼ばれるようになりました。
遅桜なほたづねて奥の宮 思い川渡ればなたも花の雨」 虚子

和泉式部には熊野詣の際の面白い話も残っています。

式部は都から十数日目にしてようやく伏拝王子近くにたどり着きました。
ところが、本宮大社まであともう少しというとき、月のしるし(月経)があらわれます。そのとき式部は歌を詠みました。

晴れやらぬ 身の浮き雲の かさなりて(棚ひきて) 月のさはりとなるぞくるしき(悲しき
遠い昔、神社参拝に血の穢れは禁物とされていました。
式部も月のしるしがあらわれた身では参詣できないという嘆きを歌に託し、ここから熊野本宮大社を伏して拝んだのです。

するとその夜、熊野権現が夢の中に現れ、式部に歌を返しました。
もろともに 塵にまじはる神なれば 月のさはりも何かくるしき
和光同塵の神であるから遠慮せず参詣するように、とのお告げです。
こうして式部は晴れ晴れとした気持ちで、無事に参詣を果たすことができたのでした。
伏拝王子と熊野本宮大社の境内には、和泉式部の供養塔と伝わる笠塔婆が立っています。

相生の大杉
結社と奥宮の間にあり、同じ根から生えた2本の杉の大木がぴったりと寄り添っています。
樹齢1000年ともいわれ、その寄り添う姿が、仲睦まじい老夫婦の姿にたとえられ、相生(相老)の杉と親しまれています。

つつみが岩
貴船石特有の紫に輝き、形状整い、古代火山灰堆積の模様を表した代表的な巨岩です。
高さ4.5メートル、重さ43トンもあります。
結社と奥宮の中間にあります。

大正天皇の皇后宮・貞明皇后より「珍しい木だから大切に」とのお言葉を賜っています。

連理の杉
奥宮の神門を入るとすぐ左山手、末社・日吉社の横に杉と楓が合体した珍しい木があります。
連理の杉と名づけられ、神木になっています。

連理とは、別々の根から生えた2本の木の枝がくっついてどちらがどの枝かよく分からなくなることで、このことから夫婦、男女の仲が親密なことにたとえられてきました。
大正天皇の皇后宮・貞明皇后が大正13年12月、貴船神社に参詣あそばされました。
その時、この木がお目に留まり、「珍しい木だから大切に」とのお言葉を賜っています。

船形石 (ふながたいし)
奥宮本殿の西側にあり、船の形をしています。
神武天皇の母神様・玉依姫さまが浪速(今の大阪)より水源の地を求め、黄色の船に乗って鴨川をさかのぼり、上流である貴船川のこの地に至られたとき、乗ってこられた船を人目に触れないように小石で積み囲んだと伝えられています。
今でも航海や旅行にその小石を携帯すると航海・旅行安全との信仰があります。

貴船神社・奥の宮
この奥に龍穴がありますが誰も見ることはできません。
その昔、貴船神社の普請をする大工が誤って、ノミをこの龍穴に落としてしまった。

そのあと、その龍穴からものすごい風が吹き上がり、そのノミを吹き上げたという。
とても不思議なパワーをもっている龍穴です。

烏帽子岩 (えぼしいわ)
昔は参拝者が冷水を浴びて身を清めたところです。

また、大宮人が烏帽子(えぼし)を下して身を清め、休息したところでもあります。
今は、昔と川の流れが変わっていて貴船川の中にあるので側には行けません。

蛍岩 夫の心変わりに思い悩んだ和泉式部は、この岩に腰を下ろし、貴船川に舞う螢を眺めていました。


貴船の蛍は6月下旬ごろから現われますが、見ごろは7月7日の貴船の水まつり頃。
昔は、蛍岩から貴船神社にかけてどこででも蛍の乱舞を見ることができましたが、近年は数が減っています。

丑の刻参りというのは、白い着物を着て、ローソクを付けた鉄輪をかぶり、丑の刻(深夜1~3時)に憎む相手に見立てたわら人形に五寸釘を突き刺して呪うという儀式です。

宇治川にある橋姫神社に祀られている橋姫も、ここで丑の刻参りを7日間行ない、その後宇治川で21日間つかって鬼になったという伝説が残っております。


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貴船神社へのアクセス、行き方歩き方

貴船神社公式サイト

住所:左京区鞍馬貴船町180
電話:075-741-2016
叡山電車鞍馬線「貴船口駅」下車徒歩約30分
京都バス「貴船口駅」から「貴船」下車徒歩約5分
京都バスは冬季は平日は運行していません。