北方領土を望む納沙布岬

北海道

1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、1945年8月28日から9月5日にかけて赤軍(ソ連軍)は北方領土に上陸し占領した。
北方領土は現在に至るまでソ連およびそれを継承したロシアが実効支配を継続している。

日本政府は「日本はロシアより早くから北方領土の統治を行っており、ロシアが得撫島より南を支配したことは、太平洋戦争以前は一度もない」と主張している。

厚岸は夏季は濃霧に覆われる事が多く、気温は上がらない。
冬季の積雪は少ないが、平均気温は-5度と低い。

風蓮湖は汽水湖としてはサロマ湖、能取湖に次いで北海道第三位であるが、周囲96kmは汽水湖としては全道一。
直接根室湾に面しており、湖面の標高は0m。

湖名の由来は、アイヌ語の「フーレ・ペツ」(赤い川)。
これは本来、流入河川の風蓮川を指した地名であり、川に湿原由来の赤く染まった水が流れ込んでいたことにちなむ。
湖の方はただ「トー」(沼)と呼ばれていた。

ハクチョウの飛来地として有名。
渡り鳥が多数訪れることで知られる。
別海十景や根室十景にも指定されている。

花咲灯台(はなさきとうだい)は、北海道根室市の根室半島南側にある花咲岬突端に立つ赤と白に塗られた四角形の灯台。

周辺は、公園として整備され、太平洋を望む風光明媚の地。
また、「日本の灯台50選」にも選ばれている。

花咲灯台から海岸の先端まで遊歩道があり、遊歩道沿いにはいろんな花が咲いてます。

激しく打ち付ける波、う~ん、いい波だ。

樺太日露国境標石:天測境界標第二號(天第二號)
日露戦争後の1905年。ポーツマス条約で樺太の北緯50度以南を日本が領有することになり、天文測量による日露両国の国境画定作業が行なわれ、国境標石が設置された。
現在は北海道根室市の根室市歴史と自然の資料館に保管されている。

エカテリーナ号の渡来
寛政4年9月3日、今の暦で1792年10月18日、現在の根室と標津の中ほどにあるバラサン(現在の別海町茨散)沖7.5キロメートルの所に、一艘(そう)の異国船が姿を見せました。

この時、ニシベツ(現在の別海町本別海)にいたシベツの番人勘四郎(かんしろう)は、どこの船なのかを確認するため、アイヌの人たちに舟を出させようとしましたが、異国船が放つ大砲の音に、アイヌたちが恐れて出船できないでいました。

午後四時ころになって、異国船からボートが降ろされ、14人が上陸してきました。
異国人はロシア人であることが分かりました。

後で分かることですが、この異国船がロシアから日本に派遣されたアダム・ラクスマン使節のエカテリーナ号で、日本からの漂流民大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)らを含めて42人が乗船していたのです。

1789年、アダム・ラクスマンはペテルブルク大学から派遣されてシベリアのイルクーツクに滞在中、伊勢国出身の大黒屋光太夫ら漂流者6名と出会う。

父の支援を受け、光太夫を連れてペテルブルクの女帝エカチェリーナ2世と謁見し、光太夫送還の許しを得たラクスマンは、女帝の命により光太夫、小市、磯吉の3名の送還とシベリア総督の通商要望の信書を手渡すためのロシア最初の遣日使節となり、1792年9月にオホーツク海を出発して根室国に到着した。

納沙布岬に北方領土返還記念シンボル像の「四島のかけ橋」がある。

北方領土の返還を実現することは日本国民の心からの願いであるので、返還実現への固い決意を象徴するために建立されたのがこのモニュメントなのである。

像の下には「祈りの火」があり、この公園の北方館の開館時間に合わせて燃え続けている。

貝殻島
納沙布岬と水晶島を隔てる海峡、珸瑶瑁水道のほぼ中間地点にあり、納沙布岬からの距離は3.7kmである。

島というよりは岩礁に近く、1937年に日本により建設された貝殻島灯台がある。
貝殻島灯台は灯台基部と共に基礎部分の劣化が進み、傾いた姿が納沙布岬から目視で確認できる。

勇留島(ゆりとう)は、歯舞群島の島の一つである。
ロシア名はユーリ島(Остров Юрий)、英語表記は”Yuri”または”Iurii”。
納沙布岬からの距離は16.6kmである

島の名前の由来は、アイヌ語の「ユウロ(それの鵜がたくさんいる→鵜の島)」あるいは「ウリル(鵜の島)」から。

納沙布岬(のさっぷみさき)は、北海道根室市にある岬である。
離島を除けば日本の本土最東端にあたる。
根室半島の先端、東経145°49′、北緯43°22′に位置する。

北方館並びに望郷の家2階では、双眼鏡(無料)が設置され、ここから歯舞群島の水晶島(7km)を見ることが出来る。
平坦な島の上に、ロシアの監視塔や、レーダー施設を見ることが出来る。

納沙布岬灯台は北方領土や南鳥島を除いた日本の最東端の地に位置する。
また、「日本の灯台50選」にも選ばれている。

周辺は、北方四島や知床半島を望む、風光明媚の地。

かの「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計による八角形の木造で、北海道の洋式灯台としては最初のもの。
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