北政所が晩年を過ごした 圓徳院

京都府
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台所坂
ねねの道から高台寺の境内へと続く道で、北政所は秀吉の菩提を弔うためにこの道を往き来したといわれる。

圓徳院、開山は三江紹益。
豊臣秀吉の正室・北政所(高台院)が晩年の19年間に自身の本拠地としたことで知られるほか、一説にはその終焉の地ともいう。

境内は苔が美しい。

説明によると、秀吉公好みの手水鉢、秀吉が今川義元の親戚にあたる西尾家に対して送ったものだそうです。

後に西尾家からこちらの圓徳院に寄贈されたという。

午後の日差しが優しく差し込む。

松竹梅図襖  木下育應 作

赤松画伯の遺作となった襖絵「白龍」を引き継いで制作された、下間(げかん)の間の襖絵。
「松竹梅」をテーマにしている。

雪月花図襖  志村 正 作

赤松画伯の遺作となった襖絵「白龍」を引き継いで制作された、上間(じょうかん)の間の襖絵。
「雪月花」をテーマにしている。

宗旦狐

この狐、結構文化的な狐で、千宗旦に憧れ宗旦に化けてお点前をした。

その腕前の見事さに、偽物とわかっても弟子は狐を追わなかった。

そのエピソードの後、時は幕末。

宗旦狐は、雲水に化けて相国寺で座禅をしたり、托鉢をして、時にはお寺の財政難を立て直すべく力を尽くしたそうな。

ある時、碁に熱中するあまり尻尾を出してしまったけど、人々は知らん顔をしてつきあっていたそうです。

秀吉公が主君であり、ねね様が臣下の礼をとっています。

秀吉公があぐらをかき、ねね様は膝立ち(いつでも動ける姿勢)

秀吉公の背景は華美ですがねね様の背景には何も描かれていません

北庭 – 指定名称は「旧円徳院庭園」。

北書院の東に位置する。

賢庭が作庭した伏見城北政所化粧御殿前庭の池泉回遊式庭園を移築したものだが、その際に敷地面積が縮小したことからこれを枯池泉座視式に改めている。

その後さらに小堀遠州によって整えられたのが今日にまで伝わる姿。

庭東の築山から枯滝を枯池に落とした2島を配置してこれを3本の石橋で結ぶという、桃山時代の典型的な枯山水の書院庭園の趣をもったもので、国の名勝に指定されている。

全体に巨岩を多数配置した珍しい庭園としても知られる。

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