1605年(慶長10年)6月28日、富山城に隠居した初代加賀藩主・前田利長は4年後の1609年(慶長14年)、富山城下の町人地から出火した火災の類焼により城内の建築物の大半を焼失したため、利長は魚津城に移り、大御所徳川家康と将軍徳川秀忠に火災の報告と、関野に築城の許可を貰った。
博物館を見学の後、城址の散策に出発。
散策路は紅葉真っ盛り。
枡形堀を眺めながら三の丸跡に向かう。
三の丸跡に展示されている蒸気機関車。
昭和16年7月に造られ、昭和36年末まで多治見、名古屋両機関区、翌37年から43年7月まで七尾機関区で運転された。
その後、8月から44年9月まで富山第1機関区高岡支局に配置され、城端線と氷見線で活躍した。
この間、約104万km、月まで1往復半にもおよぶ長い距離を走りその任務を終えた。
このたくましい姿を長く残したいものと、国鉄(現在のJR)から無償で借り受け、昭和44年11月にこの地に設置された。
蒸気機関車の型番の見方
第1の英字(動軸数)
B:2軸
C:3軸
D:4軸
E:5軸
2桁の数字(用途)
0~49:タンク式機関車
50~99:テンダ式機関車
テンダー車とタンク車とは
蒸気機関車を動かすために必要なものは「石炭」と「水」です。
機関車本体そのものに水と石炭を積んでいる機関車をタンク機関車 と呼びます。
通常機関車本体の両側に水を貯める「タンク」が、 運転室の後方に石炭箱がついています。
一方、石炭と水を専用の炭水車(テンダー)に積み、 本体の後ろにつないでいる機関車をテンダー機関車と呼びます。
従って有名な「デゴイチ」ことD51は動輪が4輪のテンダー式機関車ということになります。
また、ここに展示されているC11は動輪が3輪のタンク式機関車となります。
民部の井戸は高岡城のあった頃、越中の飲水用として数ヶ所に井戸を掘ってあり、そのひとつが体育館横(昔、今枝民部の屋敷があった)にある。
この井戸はその中でも最も大事なものであったらしく、その後屋形を建て今日まで保存されてきた。
朝陽橋は本丸と小竹薮をつなぐ内濠にかかる赤色の太鼓橋、公園名物の一つ。
明治11年(1878)にはじめて架けられ、現在のものは昭和43年(1968)県指定公園を機に造られたもの。
古図には「橋台石垣」の記録があり有事に備え可動式の橋があったとも推察されていますが確かなことは判っていません。
本城の縄張りは高山右近によるものとするのが従来の通説であるが、近年、富山城とともに聚楽第型に分類し、右近が手がけた高槻城、船上城などの縄張り手法との比較から、それを疑問視する説も提示されている。
利長は資材調達を小塚秀正ら、現地奉行を神尾之直らに命じ、魚津城から築城の指揮を取り、同時に城下町の造成も始めた。
同年9月13日、利長は「関野」を「高岡」と改め、未完成の高岡城に入城した。
殿閣は先代利家が豊臣秀吉から賜った豊臣秀次失脚に伴い破却された伏見城秀次邸の良材を使って建てられたとも伝えられる。
しかし、1614年(慶長19年)5月20日に利長は死去(享年53)し、隠居城として使われたのはごく短期間であった。
その翌年には一国一城令により、大坂夏の陣からの利常凱旋を待って高岡城は廃城となり、越中国の令制国としての城機能は火災から再建された富山城に移ったとされる。
ただし、廃城時期については1638年(寛永15年)とする異説もある。
小竹藪から本丸に渡る朝陽橋へ降りる坂道の手前に「産後の猫」があります、昭和53年(1978年)建立。
芸術の森作品で東洋のロダンと称された朝倉文夫の作品です。
作者は若いころ、モデルを雇う金がなかったので上野動物園へ通って動物のスケッチをしています。
また余裕が出てからも動物、中でも身近に多くいた猫をこよなく愛したことから、猫を題材とした作品を多く残しています。
子猫を生んだ親猫は一仕事を終え疲れているように見えます。
猫の何気ない動作の中に色々な思いを込めることができるのは、多くの猫を観てきた作者ならではでしょうか。
紅葉と散りモミジの径を本丸広場へ向かいます。
公園の樹木には雪対策がしっかりとされています。
前田利長騎馬銅像
長烏帽子形の兜は前田利家の鎧で有名。
代々加賀藩主のシンボルともなったであろう甲冑です。
神社の近くには相撲場も。
相撲場の手前にあった「国技」の像。
高岡城には石垣はほとんど用いられていないが、本丸と二の丸とを接続する土橋の脇にのみ、大規模な石垣を見ることができる。
よく見れば、色々な種類の刻印石(印が付いている石)が残っている。
御旅屋通りとえんじゅ坂通りの角には童話に関するたくさんの像があり心和ませてくれる。
100名城の選定に疑問を持つ。
日本城郭協会の「日本100名城」による選定にそった100名城を訪ねているが、高岡城の選定には疑問を持つ。
「日本100名城」は各都道府県1城以上、5城以内の選定となっており、その基準は、
1.優れた文化財・史跡であること
2.著名な歴史の舞台であること
3.時代・地域の代表であること
の3点からなっています。
と、ありますが基準そのものが間違っていると考える。
各都道府県1城以上という選択基準は排除すべきであり、秋田県(久保田城)や富山県(高岡城)から選択する必然性はない。
それより素晴らしい城はいくらでもある。
また、根室のチャシなどは基準のどれに該当するのだろうか。
100名城を巡る城ファンを一番手こずらせ、悩ませているのがチャシなのだ。
なにか、声の大きいやつが勝った結果のようだ。
ちなみに、選定にあたったのは、新谷洋二(選定委員長・日本城郭協会常務理事・東京大名誉教授)、小和田哲男(静岡大)、黒田日出男(立正大)、千田嘉博(奈良大)、平井聖(昭和女子大)、村井益男(日本大)の諸先生という。
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高岡古城公園へのアクセス、行き方歩き方
住所:富山県高岡市古城
電話:0766-20-1572(高岡市立博物館)
JR北陸本線高岡駅より徒歩約10分。
JR氷見線越中中川駅より徒歩約5分。
JR北陸本線高岡駅から加越能バス「市民病院・職安前行き」で約5分「大手町」下車、徒歩約2分。