小浜市羽賀にある高野山真言宗の寺院。山号は本浄山。
本尊は十一面観音。霊亀2年(716年)に、元正天皇の勅願によって創建されたと伝えられる。
「本浄山羽賀寺縁起」によれば、霊亀2年(716年)に、元正天皇の勅願によって行基が創建したとされる。
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その後天暦元年(947年)の洪水で流出し、雲居寺(現在の京都市東山区にあった廃寺)の僧・浄蔵が再興したという。
地方寺院の例に漏れず、創建の正確な事情や中世以前の沿革についてはあまり明確でない。
最盛期には子院18を数えたが、天災などで消失し、近代以降は本堂のみが残る。
中世には守護細川氏などの庇護を受け、元弘の乱による焼失後、延文4年(1359年)に細川氏清が再興した。
その後応永5年(1398年)にも焼失したが、永享8年(1436年)に奥州安倍氏後裔を称する安倍康季(安藤康季)が再興したという。
真言宗寺院となるのは宝徳2年(1450年)で、それ以前は天台宗に属し、青蓮院門跡の末寺であった。
元正天皇の御影との伝説がある木造十一面観音菩薩立像、堂内撮影禁止につきいただいた絵ハガキによる。
羽賀寺の本尊で、10世紀初期の作。像高146.4cm。元正天皇の御影との伝説がある。
檜の一木造、翻波式(ほんぱしき)衣文、膝に届く長い腕など、いずれも平安前期の古様をとどめており、瞑想的な眉目も弘仁・貞観文化の観音像に共通する。
本像の最大の特色は、造立当初の彩色がほぼ完全に残っていること。
宝冠は代赭(たいしゃ)色、条帛(じょうはく)や天衣(てんね)は緑、裳(も)は朱が用いられ、下地が5mmを越える厚さであることが彩色の残存につながったと見られる。
この極彩色の像容から、若狭の仏像の中でも特に知名度が高い。
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羽賀寺へのアクセス、行き方歩き方
福井県小浜市羽賀82-2
TEL.0770-52-4502
JR西日本小浜線東小浜駅から車で30分