京都御所春の一般公開2013

京都府

この記事は誤って消去してしまった記事の再掲です。
画像は2013年4月5日訪問時のものです。

鎌倉時代中期から明治時代初期まで歴代天皇が住んでいた宮殿、京都御所。
宮内庁の管理となっているため、普段は事前に参観申し込みが必要だが、春と秋の年に2回、申し込み不要の一般公開がされる。

参観コースは、例年同様に宜秋門から入りる。
宜秋門は、宮・摂家その他の公卿が参内するときに用いられたことから「公卿門」とも、また長い間の習慣の名残から「唐御門」とも呼ばれていますが、檜皮葺、切妻屋根に四脚門で、唐門の様式は備えていません。

御車寄は昇殿を許されたものが正式な参内をするときの玄関。
屋根は檜皮葺(ひわだぶき、ヒノキの樹皮を使った屋根の作り方)でとても優雅な形をしている。
御車寄は、京都御所内の主要な建物に行けるように、廊下で繋がっている。

御車寄の玄関を飾るのは衝立「岩に唐鳥(からどり)の図」(林 葵山) 林 葵山(きざん)筆。

諸大夫の間は、正式の用向きで参内した者の控えの建物。
身分に応じた3つの間が用意されていた。

手前が諸大夫の間-桜の間(原在照筆)、中央が殿上人の間-鶴の間(狩野永岳筆)。
奥には公卿の間-虎の間(岸岱筆)がある。

桜の間の襖絵 原在照筆

新御車寄は、大正御大礼のときに設けられたもの。
天皇、皇后のみが昇降される。

旧桂宮家からの伝来品「源氏の図」左隻(せき)伝狩野尚信筆
(松風)源氏を慕ってきた殿上人と感興深い宴を催す
(賢木)源氏がの野宮の六条御息所訪ねたところ
(明石)明石の君を訪ねて行く源氏

(夕顔)乳母を訪ね、隣家の女から歌を贈られる源氏
(須磨)須磨の浦沖を行く五節君が源氏の弾く琴の音を耳にするところ
(空蝉)空蝉と軒端萩の囲碁とそれを見る源氏

旧桂宮家からの伝来品「源氏の図」右隻(せき)伝狩野尚信筆
(玉鬘)筑紫から船で京へ向かう玉鬘一行
(初音)紫上の御殿で歯固めの祝い

(花宴)弘徽殿細殿で朧月夜と出会う
(玉鬘)長谷参詣に行く玉鬘一行
(紅葉賀)源氏と頭中将が青海波を舞っているところ

承明門(じょうめいもん)は紫宸殿(ししんでん)の南正面に位置する門。
瓦葺、切妻屋根の12脚門。天皇行幸や上皇御即位後の出入りに用いられる。

建礼門は御所正面入口の正門。
素木、切妻造、桧皮葺(ひわだぶき)、柱間1間の四脚門である。
開門されるのは天皇や国賓の来場や一般公開など、特別な行事の時のみである。

左右の築地塀(ついじべい)には5本の筋(水平の線)が入っているが、これも塀として最高の格式を示すものである。
この門を入り、丹塗り瓦葺の承明門(じょうめいもん)を潜ると正面が紫宸殿である。

建春門は唐破風の屋根で、勅使の出入りに用いられたが、明治以来は皇后陛下や皇太子殿下の御門とされ、また外国の首相にも用いられる。

春興殿(しゅんこうでん)は、三種の神器のひとつである御鏡(八咫の鏡)を安置する所で、内侍所、賢所(かしこどころ)ともいう。

御鏡は現在、東京の賢所に安置されているので、即位の大礼を行う際に、この春興殿に移御、奉安する慣わしになっているそうです。
現在の春興殿は、大正天皇の御大礼のときに建てられたもの。

紫宸殿は御所の正殿で、天皇の即位式、立太子礼などの最重要儀式が執り行われた最も格式の高い建物である。
白砂の南庭に面して南向きに建つ。
入母屋造、桧皮葺の高床式宮殿建築の建物で、平面は33メートル×23メートルほどの規模がある。

内部は板敷きの広い空間となり、中央に高御座(たかみくら、天皇の座)、その東に御帳台(みちょうだい、皇后の座)が置かれている。
高御座、御帳台ともに高さ約5メートル、平面八角形で、柱と柱の間に帳(とばり、カーテン)をめぐらし、内部には椅子が置かれている。

清涼殿は紫宸殿の背後西側にあり、東を正面とした建物。
入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、建具に蔀戸(しとみど)を使う点などは紫宸殿と共通する。

本来は天皇の居所兼執務所であったが、天皇が常御殿に居住するようになってからは、清涼殿も儀式の場として使われるようになっている。
中央の母屋には天皇の休憩所である御帳台(みちょうだい)がある。

その手前(東側)には2枚の畳を敷いた「昼御座」(ひのおまし)がある。
ここは天皇の公式の執務場所である。

白い看板のあたりが「滝口」。
小さな落差のある滝があります。
清涼殿を警固する武士がココに侍っていたので「滝口の武士」と呼ばれるようになった。

小御所(こごしょ))は御元服御殿ともいう。
東宮御元服、立太子の儀式など皇太子の儀式が行われた所。
明治維新の有名な「小御所会議」もここで行われた。

小御所の杉戸の絵。

御池庭(おいけにわ)
回遊式庭園。水面に映る庭園の姿が美しい。

欅橋(けやきばし)
内裏の池には数々の橋がかかっていますが、この欅橋が代表的なものとなっている。

小御所の北側に御学問所がある。
入母屋桧皮葺の書院造りの建物。
その名のとおり、天皇の御学問の為の建物で、今で言うなら書斎か勉強部屋だったのでしょう。

それ以外にも、親王宣下(しんのうせんげ)や月次の和歌の会などにも使われた。
親王宣下(しんのうせんげ)とは皇兄弟・皇子女・皇孫などに、親王の称号を許す宣旨を下すこと。

御学問所の襖絵 原在照筆。

御内庭(ごないてい)
御常御殿の前に広がる庭園。
流れの庭
南北に御池庭までそそぐ小さなせせらぎが流れています。

円盤形の松
せせらぎに囲まれた「竜泉の庭」にて見事な形の松を発見。

御常御殿(おつねごてん))の襖絵、四季花鳥図 鶴沢探真筆。
御常御殿(おつねごてん))は常御所ともいわれている。

室町から近世まで天皇の日常の御座所として用いられていた。
御常御殿は、御所の中で最も大きな御殿。
寝殿造りの色彩が濃い外観。

御涼所(おすずみしょ)は、四室からなる書院造の殿舎で、夏季の納涼所として使用された。
迎春とは廊下伝いになっている。
一般非公開なので、外観を遠くから見るのみ。

天皇の居間であった御三間は、江戸時代に別棟として現在の場所に建てられ、やがて、七夕やお盆といった年中行事がここで行われるようになった。

御三間襖絵 賀茂祭群参図 駒井孝礼筆。

出口付近の庭園。
参観した4月5日は桜が満開でした

清所門、春と秋の一般公開はこの御門が出口。
参観申し込みで見学する場合はこの御門から入る。

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