埋蔵文化財センターは、久留米市内の遺跡から出土した土器や石器、木器、金属器などの遺物をはじめ、発掘調査の際に作成した図面・写真などの記録類を収蔵・整理・研究するための施設。
支石墓、センター玄関前に展示されている。
約2200年前のお墓の一種で、「ドルメン」とも呼ばれる。
大きな板石は、甕棺をおさめた墓穴の上に目印として置かれたもの。
南薫町の南薫稲荷遺跡(鳥類センター西隣)から発見された。
筑後地域では類例が少なく、他に4か所見つかっているだけです。
朝鮮半島から来た渡来人の土器(弥生時代)
渡来人がもたらした黒い土器 久留米市城島町の久保遺跡(くぼいせき)は、弥生時代前期末ごろ(約2200年前)に朝鮮半島から来た人々が残した遺跡。
久保遺跡で出土している、黒く塗られ、きれいに磨き上げられた土器は、朝鮮半島で一般的に使用されていた土器です。
その中には、日本列島の弥生土器の形をしたものも含まれており、半島から渡来した人々が、九州の人々と交流する中でそれぞれの土器の特徴が混ざり合ったものと考えられます。
平安時代の貴族の食事
貴族は白米を食べ、全国から税として集められた山海の特産物を煮たり、焼いたりして、塩や酢などの調味料で味付けして食べていました。
食事は朝夕の1日2食でした。
食器は主に土器や木器が使われ、それを木の盆に並べて、箸を使って食事していた。
久留米市は全国でも有数の甕棺墓の密集地帯。
筑後川沿岸の自然堤防上に甕棺墓地が数多く存在しています。
当センターには弥生時代前期から後期にかけてのほぼ全ての時期の甕棺が収蔵されています。
ちなみに甕棺とは、大型の土器を棺として使用したもので、弥生時代に朝鮮半島から伝わり北部九州を中心に展開した墓制です。
4000年前と変わらない姿で発見された網かご(縄文時代)
縄文時代の網かご 久留米市国分町の正福寺遺跡(しょうふくじいせき)では、縄文時代後期(約4000年前)の網かごが出土しています。
小川の底に穴を掘って、つるでつくった編みかごをいれ、そのなかにドングリをいれて貯蔵していたようです。
小川が土砂で埋まった後も、地中に水分が多く含まれた状態が続いていたため、植物質が腐らずにそのままの状態で残されていました。
このような良好な状態で縄文時代の遺物が出土することは珍しく、大変貴重なものです。
また、編みかごのほかにも柄の付いた石の斧なども出土しており、現在は九州歴史資料館で展示されています。
地層に見る戦争の跡
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久留米市埋蔵文化財センターへのアクセス、行き方歩き方
久留米市諏訪野町1830-6
電話0942-34-4995
西鉄久留米駅下車徒歩10分(約700メートル)
または、JR久留米駅および西鉄久留米駅から、西鉄バスに乗り換えて、3番信愛女学院・青峰団地行き、もしくは、31番八女営業所行きに乗車し、税務署前バス停を下車して徒歩3分