今日のお昼は湾が一望の道の駅みつ(御津) 魚菜屋(ととなや)、シーズンには海鮮バーベキューや室津の焼き牡蠣も楽しめ、屋上はテラス席になっている。
海産物だけでなく、地元野菜や加工物等、土産物も多い。
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港町として約1300年の歴史を持ち、奈良時代に行基により5つの港が整備され、江戸時代には栄華を極め宿場町としても栄える。
多くの文豪、文人墨客を魅了し竹久夢二、井原西鶴、谷崎潤一郎、司馬遼太郎、つげ義春、平岩弓枝らが来訪し作品に描いた。
約2000年前、神武天皇の東征先導役が室津に港を建設したといわれる。藻
振ノ鼻(室津半島先端部)と金ヶ崎(たつの市・相生市境)で囲まれた室津湾の、さらに東側奥にあることから、「室の如く静かな津」ということで「室の泊」と呼ばれたのがその名の始まりと伝えられる。
江戸時代になると、参勤交代の西国大名の殆どが海路で室津港に上陸して陸路を進んだため、港の周辺は日本最大級の宿場となった。通常、宿場におかれる本陣は、1軒、多くとも2軒であるが、室津には6軒(肥後屋・肥前屋・紀国屋・筑前屋・薩摩屋・一津屋)もあった。
江戸参府で室津に滞在したシーボルトは賀茂神社参ろう所から見た播磨灘を「日本の美しい景色として」絶賛した。
しかし、明治に入ると参勤交代の制度が無くなり、鉄道・道路が内陸部に敷かれたため急速に衰退した。
帆船時代には瀬戸内海の重要な港として栄え、遊女発祥地として色々な伝説や悲話が残っている。
四国配流の途中、法然に室の遊女が結縁した伝承が示すように日本の遊女の発祥地といわれている。
有名な遊女は代々室君と呼ばれていた。
伝説に円教寺で修行していた弁慶が夜に山を下りて遊女のもとに通い、明け方には戻ったという。
ちなみに円教寺と室津は直線距離にして約20kmである。
賀茂神社(かもじんじゃ)は、兵庫県たつの市室津明神山にある神社。
本殿を含めて8棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。
別名を室明神社といいます。
平安時代に賀茂別雷神社の直系御厨の地になった、境内にあるソテツは野生のものでは日本列島の北限として県指定文化財にもなっています。
平清盛が厳島詣での折、この地に立ち寄り、神前に祈願した際、古びた5・6棟の社殿が立ち並んでいたと「高倉院厳島御幸記」に記されています。
また、江戸参府時にシーボルトが訪れ参籠所から播磨灘の展望を絶賛するなど景勝地としても有名。
唐門と東西の回廊、背後に社殿群がある。
岩見漁港方面に見える地肌の出た大きな岩は流紋岩で、太古の昔、溶岩が流れ下った跡である。
瀬戸内海がかつては大地溝帯であり、今では想像もできない激しい火山活動をしていた痕跡となっている。
大阪城の石
豊臣秀吉が大阪城築城のとき、石垣に使うため西国大名が運ぶ途中室の泊で海中に落としたもの、と伝わる。
400年程改定に沈んだままであったが、昭和47年室津漁港改修工事で引き揚げられ、湊口番所あたりに置かれた。
このような巨石を全国から集めて築城工事がされた事は多くの人達の労苦、栄枯盛衰を見てきた港の歴史を今に伝える物である。
もやい石
室津に入港した北前船を係留する際、船の綱を繋ぎとめていた石。
もやい石の全長は約180cmほどだが大きな船を繋ぎとめる為、ほとんどが地中に埋められ、地上に出ているのは約60cmほどだったそう。
昭和40年代頃の護岸工事の際に撤去されたものを現在展示されている。
また、当時もやい石があった場所も観光駐車場の近くに残されている。
室津のもやい石は全体像を見ることができる全国的に見ても貴重なもの。
津波避難階段。
『街道をゆく』の取材で、司馬遼太郎、須田剋太らの一行は、室津に泊まっている。
七曲(ななまがり)からの道路は、嫦峨山(じょうがざん)の崖の中腹を通っている。道路上から入江の景観が見おろせる。宿は、その道路上に、崖に背をもたせるように建っている。(中略)
部屋に入ると、この宿に感謝する気持になった。
アルミ枠のガラスいっぱいに室津港が見おろせるし、地図ではよほど沖合かと思っていた中ノ唐荷(からに)島と沖ノ唐荷島が、ちかぢかと見えるのである。
この司馬遼太郎の文章には旅館名はでてこない。
地図上で探すと、室津港を見おろせる位置にあるのは「きむらや」という宿一軒のようだ。
司馬遼太郎は本の中でかなり詳しく室津の歴史についてページを割いています。
奈良時代の山部赤人がこの室津の唐荷島を読んだ歌や、平安時代高倉天皇(高倉院)や平清盛がこの室津に泊まった話、法然上人が幽閉された寺、そして江戸時代の参勤交代の大名が止まった本陣跡など、僅か1泊しただけなのに、実に詳しく述べています。
恐らく週刊朝日に掲載する時には、自宅でかなりの文献を調べて書き上げたものと推測されます。
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山で囲まれた室津湾は栄養豊富で静かな湾として牡蠣には最適な環境です。
一年牡蠣なので、クセがなくスッキリした味わい、貝柱の甘みが印象的です。
加熱しても身縮みが少ないのが特長です。 旬の時期は11~5月。
毎年5月頃に種付けをし、その年の11月下旬頃にはプリプリの状態に育ち収穫ができることから、一年牡蠣と呼ばれています。
約半年で成長し出荷できるのは、過密養殖を防止し、牡蠣棚を毎年移動させ栄養を行き届かせるこだわりも大きな理由のひとつです。
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農業の現場では、そんなカキを食べた後に残る貝殻「カキ殻」が肥料として再利用されています。
塩抜きした貝殻を焼いたり乾燥させたりした後、土壌に混ざりやすいように細かく砕いた肥料で、主成分は炭酸カルシウムです。
100%天然素材に由来する有機石灰肥料として活用されています。
カキ殻の最大の特徴は、ほかの石灰肥料に比べて効き目がおだやかなこと。
保証成分のアルカリ分は消石灰が60~75%程度、苦土石灰が50~60%程度なのに対し、カキ殻は40~50%と低く、じわじわと効き目があらわれるタイプの肥料です。
即効性はないものの、消石灰のように水と反応して熱をもつことがなく、やりすぎによる生育障害も起こりにくいので、安心して使うことができます。
旧御津町(みつちょう)のマンホールの蓋。
丸い蓋を大きく3分割している形は御津町の町章で、 その中に町の花ウメ、町の木ヤマモモ、瀬戸内海の波と波頭を配したデザイン。
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