キリシタン大名大村氏の居城 玖島城

九州

藤原純友を祖とする大村氏は鎌倉時代よりこの地の地頭として、大村地方を領有してきた。

新蔵波止、1686年、幕府が官米3千石を筑前から運んで預けたとき、二棟の新蔵を建て、この波止を築いた。

以後、藩船などの発着に利用した。(現地案内看板より)

新蔵波止から板敷櫓を望む。

大村湾に突き出した新蔵波止。

城は大村湾に突き出した半島に築城された平山城で天守は建造されなかった。

現在は大村公園となっており、天然記念物のオオムラザクラや菖蒲など季節折々の花が咲いている。
日本さくら名所100選に選定されている。

石垣が現存し、1992年(平成4年)には板敷櫓が再建されている。

大手口にある穴門、大手門を入った東側にあり、入口の高さは3mほどもある。
海(南)に面した大手口だけではなく、陸(東)からの通路を確保しておき、有事には機動的に兵を動かすことが目的だったのか。

大手の枡形。

1587年(天正15年)、時の領主であった大村喜前(嘉前)は豊臣秀吉の九州征伐の際に、秀吉軍に参陣し領土を安堵された。

喜前はキリシタン大名であったが、秀吉の圧力により改宗した。
1598年(慶長3年)の秀吉死後、政情不安に備えて玖島城の築城に着手。

翌1599年(慶長4年)、三城城から居城を移す。

二の丸跡。

江戸幕府開府後も領有し、大村藩(2万7000石)として明治維新まで存続した。
城はその藩庁としての役割を果たした。

本丸石垣。

1614年(慶長19年)より純頼によって拡張・改修され、この際、加藤清正により設計指導を受けたとされる。
清正による指導を受として、美しい扇の勾配をもつ石垣が見られる。

長年の人の通行で摩耗が激しい。

本丸跡は大村神社の境内となっており、築城者である大村喜前の遺徳碑や最後の藩主となった大村純熈の像がある。

武者走り、土塀はすべて再建されたもの。

狭間、外側になるほど狭くなっており、内側にいる射ち手からは動きやすく、敵からは狙いづらい造りとなっている。

「貝吹石」、萱瀬村から寄付されたもので、龍造寺晴信から萱瀬村がおそわれた時、同村の郷士等が砦に籠もり、この石の穴を吹いて合図の陣具に代用し、敵を退けたという伝説がある。

搦め手門。

城内より搦め手門を見る。

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