ウィーン・オーストリア館(旧W.クンツェ邸)

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ウィーン・オーストリア館では作曲家モーツアルトをテーマにオーストリアの文化などを紹介している。

館内は19世紀後半の貴族の家を再現し、女帝マリア・テレジアの肖像やロココ調の衣装などを展示。
 
当時の宮廷文化の様子が見えてくる。

悲劇の王女マリーアントワネット

オーストリアの皇女のマリー・アントワネット・・・
14歳の時に、政略結婚でフランスの王太子と結婚。

国交安定の為、早く子を・・・と、国もとの母から催促の手紙。

しかし、王太子は全然そんな事に興味がなく、狩りと鍵作りに熱中してるのであった・・・


ベットと洗面台が配置された「モーツァルト生誕の部屋」があり、日常の中に音楽があふれていた幼少期のエピソードも紹介されています。

2階の部屋の中央には、モーツァルトが作曲するときに使った「フォルテ・ピアノ」の複製が展示されています。

ピアノの横には貴重な直筆の楽譜(複製)があります。

題は「Das Veilchen」。

モーツァルトの歌曲の中で最高傑作と言われている「すみれ」です。

譜面には、書き直した跡ががなく、モーツァルトの音楽はすべて頭の中で完成されていたという逸話を連想させます。

特に注目したいのは白鍵と黒鍵が逆になっている鍵盤。

もともとは、今のピアノと同じ配色だったのを、モーツァルトが「女性の白い手が映えるように」と変えたのが大ヒットし、その後のフォルテ・ピアノはこの色になったという。

エリーザベト (オーストリア皇后)

当時のヨーロッパ宮廷一といわれた美貌に加え、身長172cmと背が高く、ウエスト51センチで体重は生涯43?47キロという驚異の体形の持ち主だった。

美貌と痩身であることに執念を燃やし過酷なダイエットや美容方法でそれを維持していたが、年を取るにつれて皺とシミだらけになった顔を分厚い黒のベールと革製の高価な扇や日傘で隠すようになり、それが彼女の晩年の立ち居振る舞いを表す姿として伝説となっている。


皇后でありながら君主制を否定した「進歩的な女性」と評されることもあるエリーザベトだが、一方で尊大、傲慢、狭量かつ権威主義的であるのみならず、皇后・妻・母としての役目は全て放棄かつ拒否しながら、その特権のみほしいままに享受し続け、皇后としての莫大な資産によってヨーロッパ・北アフリカ各地を旅行したり法外な額の買い物をしたりするなど、自己中心的で傍若無人な振る舞いが非常に多かったとされる。

当時のベルギー大使夫人は、「この女性は本当に狂っています。

こんな皇后がいるのにオーストリアが共和国にならないのは、この国の国民がまだ寛大だからです」と書いている。

ただしハンガリー統治に関しては非常な関心と情熱を傾けたため、過去に近隣の大国に翻弄され、分割・被支配とさまざまな苦難の歴史をたどったハンガリーが現在平和な独立国家となった礎を築いた人物として、今もハンガリーの人々には慕われている。

そして彼女が嫌ったウィーンにおいても観光のシンボルとして肖像画を見ることができる。

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