福井地方では生活感のある露地を「ずし」と呼ぶようです。
今庄宿を散策しています。
古い家並みの町はガスに包まれていました。
白壁の蔵の似合う町です。
昔ながらの造り酒屋が何軒か残っており、このような煙突が随所にみられる。
こちらも今でも操業している造り酒屋、いい雰囲気です。
廃物のある風景というのもいいじゃないですか。
今日のお昼はこの店でいただきました。
今庄駅前の「ふる里」は、同じく駅前の「忠兵衛」と並んで、もうひとつの今庄蕎麦の有名店だ。
蕎麦は福井産の玄そばを使った二八蕎麦。
先代が亡くなり、現在は娘さんが跡を継いでます。
お蕎麦は香りもよく喉越しもよく美味しく頂けました。
大根はさほど辛くなく食べやすかった。
落ち着いた雰囲気の店内には、写真家だった先代が撮影した写真が飾られています。
福井県出身の名俳優宇野重吉さん。
歌手の寺尾聰さんのお父さんですがその写真とサインが飾られ、ここの蕎麦を愛したよう。
宇野重吉といえば劇団民芸の創立者であり戦後の日本演劇界のリーダーでもあった。
名優であった。
その故宇野重吉氏の写真や書が多くの福井の老舗蕎麦屋の店内に飾られている。
無類の蕎麦好き、いや「越前おろし蕎麦好き」であった。
帰郷や福井公演の際は毎日のように蕎麦屋通いをするのが常であったという。
「福井では雪と仏とおらが蕎麦」(宇野重吉)、もちろん「信濃では月と・・・」(一茶?・不詳)の句を読み替えたものではあるが、重吉氏の蕎麦と故郷・福井への深い愛情が偲ばれる。
恐らくは蕎麦の打ち手であった母親の面影がそれに重なるのであろう。
長じて重吉氏を「越前おろし蕎麦」の宣教師・広報マンたらしめた秘密は彼の少年時代に隠されているに違いない。
先代が撮影した写真「ずしのある町」
食事の後は少し腹ごなし。
このネコ隠れているつもりなのかな。
京藤甚五郎家、天保年間(1830-44年)の建造物で当時は造り酒屋隣から火が移るのを防ぐ卯建が上がっている。
今庄の伝統的な町家からなる街並みは、その多くは明治以降のもの、その中にあって京藤家住宅は、塗籠(ぬりごめ)の外壁と赤みの強い越前瓦の屋根の上に上げた卯建によっってひときわ異彩を放っている。
町並みは切り妻造り、二階建て、中二階建て、平入り、袖壁、格子、大戸があり本卯建の上がった家もある。
ただこの町並みの伝統的な家屋では、屋根の構造が少し変わっていて、屋根を支えている太い梁が軒先まで出ている登梁の構造で、雪の重みに耐えられるように作られていて、力強さを感じる建て方である。
古い町並みの残る町、そこここにある何気ないものにも何か温かみを感じる。