醍醐天皇のとき、山城の国司が社殿を造営したのが起源とされ、平等院が建立されるとその鎮守社となったと伝えられる。
「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されている。
菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)・応神天皇・仁徳天皇を祀る。
宇治神社と対をなす。
宇治上神社の本殿から見えている部分は実は覆屋。中にある3棟の内殿こそ、最古と認められた建物なのだ。
現存最古とされる平安時代後期の本殿が残っている(外から見えるのは覆屋で、中に本殿が3つ並んでいる)。
本殿に祀られている左から、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)(弟君)、応神天皇(父君)、仁徳天皇(兄君)。応神天皇は菟道稚郎子皇子を愛し、皇太子としたが、応神天皇が崩御したときに菟道稚郎子は兄である大鷦鷯尊(おおさざきのみこと・のちの仁徳天皇)に皇位を譲ろうとした。しかし父に背くことになるとこれを固辞、3年間天皇がいない状況が続いたため、兄に皇位を継がせるべく菟道稚郎子は宇治川に入水して命を絶ったと、悲運の皇子として日本書紀に描かれている。宇治川の東岸、京阪宇治駅の北側にあるこんもりとした杜が宇治陵で、皇子の墓とされている。
兄君は弟君が自ら命を絶ったことに、驚き悲しみ、難波より馳せて菟道の宮に至り、手厚く葬られたといます。
これが宇治上神社の起源といわれており、紫式部は、この悲劇の皇子を「源氏物語」の宇治十帖の八の宮のモデルにしたのではないかといわれ、橋姫たちの閑寂な庵はこのあたりだったと推察されています。
拝殿は鎌倉時代前期の宇治離宮を移築したものといわれ、寝殿造の趣きを伝えている。
平安時代の貴族の邸宅の寝殿造に似ていて屋根の勾配もゆるい。
拝殿前に上賀茂神社のような神のよりどころの立砂が2つある。
宇治上神社の拝殿は、几帳や燈台で飾られて細工がシンプルでオシャレです。
宇治茶は室町時代に栄え、その宇治茶の象徴として宇治七名園が作られた。その際、お茶に不可欠な水にも「宇治七名水」が定められ、桐原水はそのうちの一つに数えられた。現在、他の六名水は失われたが、この桐原水だけが今なお枯れることなく涌き出している。
宇治上神社への行き方・歩き方
住所:〒611-0021 京都府宇治市宇治山田59
電話番号 0774-21-4634
開館時間 8:00~16:30
拝観料 境内自由
拝観時間 9:00~16:30
JR奈良線「宇治駅」下車徒歩20分
又は 京阪電車宇治線「宇治駅」下車徒歩10分