今回の調査は、昭和59年度に見つかった豊臣期詰ノ丸の石垣を再発掘して公開するという豊臣石垣公開プロジェクトに先立ち、周辺の遺構の状況を把握するために実施。
豊臣期の石垣は上端部を再発掘した。
発掘の様子が、2013年9月20日~22に一般公開された。
今回の調査地は、本丸東部の金蔵(重要文化財)の東側で、配水池の南に位置します。
豊臣期では天守が位置した詰ノ丸外側の中ノ段、徳川期では金蔵の東側に当たる場所です。
昭和59年度には詰ノ丸の南東隅にあたる石垣を検出しています。
石垣は約6mもの高さがあることがわかっていますが、今回は調査地の北端でこの上面を再発掘しています。
金蔵と今回の発掘現場。
今回見つかった金蔵の雨落溝。
新たに見つかった区画施設は徳川期の遺構で、南北に延びる石列とその東側に並列する石組の側溝です。
金蔵の東側を囲うものであったと推測されます。
また、この石列を築く前には、瓦を中心とした廃材を捨てるための大規模な瓦溜まり(ごみ捨て穴)群が掘られていました。
また昭和6(1931)年の天守閣および第四師団司令部庁舎(のちの大阪市立博物館)建設に伴って、調査地には車庫が建設されました。
現場に残るコンクリート基礎は、この車庫のものです。
発掘現場の外側にはのぞき穴が設けられており、中の様子が見えます。
覗き穴からのぞくと、熱心に説明を聞く参加者が見える。
そのほか、幕末の戊辰戦争の混乱の中で生じた火災による焼瓦層なども検出しました。
徳川期大坂城の終焉を語る上で重要な資料です。
昭和59年度の発掘調査で見つかった豊臣期詰ノ丸外郭の石垣は、その後埋め戻されています。
場所は天守閣前のタイムカプセルの横、通常は金属製のふたがしてあります。
豊臣期の大坂城は、天正11(1583)年に豊臣秀吉によって築造が開始されました。
しかし、大坂夏ノ陣の敗戦(1615年)後に行われた徳川氏による大坂城再築によって、完全に地中に埋められました。
この時に行われた盛土は、場所によっては7mもの厚さがあったことがこれまでの調査によりわかっています。
そのため、いまは地中にあり見ることのできない豊臣期の大坂城ですが、これまでに行われた数地点の発掘調査で、当時の遺構を検出しています。
画像は2013年2月に公開されたときのものです。
ヒューム管の底に石垣が見えています。
豊臣石垣公開プロジェクトでは2015年の公開へ向けて市民の皆さんの浄財を募っています。
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