醒ヶ井地蔵川のバイカモ(梅花藻)

夏の花
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中山道を流れる地蔵川のバイカモはキンポウゲ科の水生多年草で、清流でしか育ちません。

7~8月ごろに、梅の花に似た白い小花を咲かせることから『梅花藻(バイカモ)』の名が付きました。

中仙道の宿場町として栄えてきた醒井その町の中を流れる地蔵川。

水温は年間を通じて14℃前後と一定してるため貴重な水中花「梅花藻」や絶滅危惧種の「ハリヨ」が生息しています。

「三水四石」のひとつ、「十王水」。
湧出口は民家の奥にある。

もともとは浄蔵法師にちなんで、浄蔵水と呼ばれていたが、その昔、近くに「十王堂」があったのでこの名が付いたとされる。

懐かしいなあ、昔ながらの里芋の「芋洗い機」。
水車みたいな木と竹製の容器の中に、土のついた里芋をいれます。

川の流れを利用して、水車のように回りながら割った竹の内側を利用して、里芋を洗うのです。

14℃前後という水温を利用してスイカを冷やしています。

ハリヨ、トゲウオ科のイトヨ属で体長4~5cmの極めて貴重な淡水魚です。
絶滅危惧種で地蔵川は保護地区に指定されています。

醒ヶ井の名産、マスです。

「古事記」・「日本書紀」によると、東征からの帰りに日本武尊は、伊吹山の荒ぶる神を退治に出掛けられたが、発熱され正気を失うほどであったやっとのことで山を降りて、この泉まで来て、清水で体を冷やされたところ熱も下がり、気力も回復されたと伝えられています。

武尊はこの泉を「居醒の清水」と名付けたといいます。
日本武尊が鞍を掛けたという「鞍掛石」や腰を掛けたという「腰掛石」などが並ぶ湧水池。

ねがい橋、居醒の清水にある「ねがい橋」は願い事を唱えながら橋を渡ると願いが叶うといわれます。
女性に人気のスポットです。

湧泉の上に鎮座する、この地の生土神(うぶすなじん)と言う加茂神社。

雨森芳州(あめのもりほうしゅう)湖北高月の雨森の人。

中国語、朝鮮語に通じ、江戸時代中期の日本を代表する儒者である。
対馬藩に仕え、李氏朝鮮との通好実務にも携わった。

高月町に記念館がある。

看板には水清き 人の心を さめが井や 底のさざれも 玉とみるまで 芳州とあり、古今集の一首という。

西行水と泡子塚(あわこ)。
 
伝説では、西行法師東遊のとき、この泉の畔で休憩されたところ、茶店の娘が西行に恋をし、西行の立った後に飲み残しの茶の泡を飲むと不思議にも懐妊し、男の子を出産した。

その後西行法師が関東からの帰途またこの茶店で休憩したとき、娘よりことの一部始終を聞いた法師は、児を熟視して「今一滴の泡変じてこれ児をなる、もし我が子ならば元の泡に帰れ」と祈り 、「水上は清き流れの醒井に浮世の垢をすすぎてやみん」と詠むと、児は忽ち消えて、元の泡になった。

西行は実に我が子なりと、この所に石塔を建てたという。

「中山道醒ヶ井宿」「番場宿へ1里」の道標。

天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、醒井宿の宿内家数は138軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒で宿内人口は539人であった。

本陣跡、今は料理屋さんになっているようです。

石灯籠のある旅籠・多々美家、時代の息吹が聞こえてきそうな趣ある佇まい。

通りにはこのような往時をしのばせる佇まいが見られる。

醒井宿問屋場で何か展示会が催されていました。

問屋場(といやば)とは江戸時代、街道の宿駅で、宿場を通行する大名や役人に人足や馬の提供、荷物の積替えの引継ぎ事務を行なっていたところをいい、完全な形で残っているのは全国でも珍しい例です。

旧醒井郵便局局舎、木造2階建ての擬洋風建築で、昭和48年まで醒井郵便局として使用されていました。

建物の創建は大正4年(1915年)で、米国出身のウィリアム・メレル・ヴォーリズがその設計に携わっていたことで知られています。

醒井宿で見つけたマンホール。
米原市に合併前の旧米原町時代のもので、旧町章の中に町の花(サツキ)とその周囲に町の木(イチョウ)を配したデザイン。

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地蔵川へのアクセス、行き方歩き方

住所:滋賀県米原市醒井

JR東海道本線「醒ヶ井駅」下車 徒歩 5 分