純フランス風 萬翠荘

四国
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萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したもの。

陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたところです。

また、裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問に合わせ、完成を急がせたとも伝えられております。

白を基調としたゲストルームの天井は漆喰でできており、彫刻には金色が塗られた優美な雰囲気が伝わる。

茶色を基調とした格調高い大広間には、豪華なシャンデリアがある。

踊り場の大窓に広がる海の風景は、グラデーションを使用した繊細な色彩のステンドグラスで、これまでハワイ製と言われていたが、2010年の愛媛県の調査(奈良文化財研究所に委託)により木内真太郎の制作と判明した。

完成直後の11月22日から24日まで、皇太子摂政宮(昭和天皇)が滞在した。

坂の上の雲ミュージアムからの萬翠荘の眺望。

建築面積428.78平方メートル、地下1階、地上2階建て。
松山で最も古い鉄筋コンクリート造建築。

屋根は寄棟造、スレートおよび銅板葺き。
屋根中央にはマンサード屋根、東南隅には尖塔を設けて外観に変化をもたせる。

夜も更けて一段と趣のある色合いを見せる屋根。

夏目漱石が一時、住んでいたという、愛松亭跡の碑。

この敷地は、松山藩の家老屋敷の跡地であり、夏目漱石が明治28年、松山中学の英語の教師として赴任した折に下宿をしていた、「愛松邸」のあったところ。

漱石の「坊っちやん」の主人公は、「山嵐」に勧められて、「山城屋」から「町はづれの岡の中腹にある至極閑静な家」に移る。
主人は骨董を売買する「いか銀」。

その下宿のモデルになっているのが、「裁判所の裏の山の半腹にて眺望絶佳の別天地」、津田保吉の「愛松亭」(小料理屋)。

萬翠荘玄関前に現存する井戸の傍らに、昔は、平屋建の母屋、その西側に二階建ての離れ(愛松亭)があり、漱石は明治28年4月から6月頃までの数か月間、そこの二階に下宿した。

紅梅や舎人(とねり)が運ぶ茶一服  黙然

黙然が思い出深い旧庁舎が壊されること惜しんでこの句を読んだもので黙然の印象に鮮明だった旧庁舎の紅梅は、ほかに移されました。
舎人とは、この場合愛媛県庁職員のことでこの句碑は、そのような事情をふまえ「紅梅を添えて」建立されたという。

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萬翠荘へのアクセス、行き方歩き方

愛媛県松山市一番町3-3-7
089-921-3711

伊予鉄道城南線 大街道停留場 徒歩3分
一番町通りから坂の上の雲ミュージアムの方向に入る。