来迎寺(築島寺) 松王丸の悲劇を今に伝える

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わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。
清盛が描いた夢の跡をたどってみた。
今回は清盛の侍童松王丸の悲劇を今に伝える 来迎寺(築島寺)。

寺の名称は「来迎寺(らいこうじ)」と濁らずに読む。
築島寺とはかつての名称で、現在は来迎寺(らいこうじ)と呼ばれている。
この寺には松王(まつおう)入海の碑と墓がある。

平清盛が日宋貿易のために経ヶ島を築造する際、海神の怒りを鎮めるために人身御供(ひとみごくう)となったのが、清盛の従者の松王である。

寺は清盛が松王のために建てたと言われている。

松王小児入海の碑
二条天皇の御代、平清盛公はわが国の貿易の中心地はこの兵庫であるとの確信をもって、良港を築くため海岸線を埋め立てる工事に着手した。

しかし、潮流が早く非常な難工事で、完成目前に押し流されることが二度に及んだ。
時の占い師は「これは竜神の怒りである。

三十人の人柱と一切経を書写した石を沈めると成就するであろう」と言上した。
そこで清盛は生田の森に隠れ関所を構え通行の旅人を捕らえさせたが、肉親の悲嘆は大きかった。

このとき、清盛の侍童で香川の城主、田井民部氏の嫡男松王、十七歳が「人柱のことは罪が深い。
わたしひとりを身代わりに沈めて下さい」と申し出た。

応保元年(1161)七月十三日、千僧読経のうちに松王海底に沈み築島造営は完成した.
現在の神戸港の生い立ちである。

天皇は大いに感動されて、松王の菩薩を永く弔うため当寺を建立し、念仏の道場とされた。

妓王・妓女の塔
妓王と妓女は姉妹でともに京堀川の白拍子であった。
清盛の寵愛を得て優雅な日を送っていたが、清盛の心が仏御前に傾くに及び世の無常を嘆き、嵯峨野に庵(いまの妓王寺)を結び仏門に入った。

その後、平家が壇ノ浦で破れたため、平家ゆかりの兵庫の八棟寺(当時の末寺)に住持して一門の菩薩を弔った。

付近には、新川運河の築島水門などがある。
経ケ島は鎌倉時代には兵庫島と呼ばれるようにもなった。

それ以来この港を兵庫の津と呼ぶようになった。
これが兵庫港、神戸港へと発展していく。

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来迎寺(築島寺)へのアクセス、行き方歩き方

〒 652-0833
住所:兵庫県神戸市兵庫区島上町2

JR神戸線神戸駅より、南に徒歩17分。
地下鉄海岸線中央市場前駅より、北に徒歩3分。