朝廷の武器庫 石上神宮

奈良県
カレンダー
2024年10月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

『日本書紀』に記された「神宮」は伊勢神宮と石上神宮だけであり、その記述によれば日本最古設立の神宮となる。
又大神神社と同じ日本最古の神社として有名です。

元々は古来朝廷の武器庫として物部氏が守っていたようです。

別名として石上振神宮、石上坐布都御魂神社、石上布都御魂神社、石上布都大神社、石上神社、石上社、布留社、岩上大明神、布留大明神などがある。
幕末 – 明治期には地元で「いわがみさん」と呼ばれていた。

大鳥居
神宮の鬱蒼とした参道の両脇に建っている燈籠を過ぎると「布都御魂(ふつのみたま)大神」と彫られた額の鳥居が建っている。

布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)は神武天皇が東征しながら、紀州熊野に来たとき土地の神の毒気にあたり、兵士が病気になり進めなくなったが、この時、平国之剣(くにむけしつるぎ)の霊威によって兵を進めることができ、国土平定がなされたという。

そのときの剣とその霊威を布都御魂大神として祀ったものとされている。

「楼門」は鎌倉時代末期の文保2年(1318年)に建造されたものといわれており、重要文化財に指定されている。

楼門をくぐり奥に進むと拝殿が見えます。さらにこの後ろに本殿があるのですが、禁足地であり一般に立ち入ることはできません。

もともとは大神神社のように本殿はなく、拝殿からその背後の禁足地を遙拝し、禁足地には主祭神である神剣布都御魂が安置されていると伝えられてきました。

明治時代に禁足地を発掘し、剣一振(素鐶頭太刀そかんとうのたち)が出土したのを期に、これを布都御魂(ふつのみたま)として、本殿が造営されました。

出雲建雄神社拝殿。
内山永久寺の鎮守 住吉社の拝殿を、同寺の廃絶後大正3年に移築したものです。

中央に一間の「馬道(めどう)」と呼ぶ通路を開く割拝殿(わりはいでん)。
国宝に指定されている建築物です。

内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)は奈良県天理市杣之内町にかつて存在した寺院である。
興福寺に繋がり、かつては多くの伽藍を備える大寺であったが、廃仏毀釈の被害により明治期に廃寺となった。

跡地の池が石上神宮の南、山の辺の道沿いに残る。
現在では当寺の敷地の大半は農地となり、本堂池と萱御所跡の碑が往時をしのぶだけである。

このような大寺を失ったことが、後に同地域一帯が天理教によって席巻される結果に繋がったと言われている。

摂社 出雲建雄神社拝殿(せっしゃいずもたけおじんじゃはいでん)
切妻造、檜皮葺。内山永久寺(天理市杣之内町にあった寺院、明治時代初期に廃絶)の鎮守社拝殿だった建物を1914年に移築したもの。

正安2年(1300年)頃の建立。
桁行5間の建物の中央1間分を土間の通路とした「割拝殿」と呼ばれる形式の拝殿である。

天神社と七座社(石上神宮摂社)
出雲建雄神社の左手奥に祀られています。
摂社・天神社の祭神は高皇産霊神、神皇産霊神です。

記紀神話の天地開闢のとき混沌の中から成り出でた造化三神のうちの2神です。
摂社・七座社の祭神は生産霊神、足産霊神、魂留産霊神、大宮能売神、御膳都神、辞代主神、大直日神です。

オオナオビ神を除いた6神は、タカミムスヒ・カミムスヒとともに宮中八神殿に祀られている神々です。

七支刀(しちしとう、ななつさやのたち)
石上神宮に伝世した上古刀で、両刃の剣の左右に3つずつの小枝を突出させたような特異な形状を示す。

金象嵌で記された銘文の中に「泰□四年」の年紀がある。
これを西暦369年にあたる「泰和四年」と読む福山敏男説が有力で、刀はその頃に百済で製作されたと考えられている。
この「七支刀」は秘宝であり、公開されていない。

回廊に南北朝時代の鎧櫃が保管されていた。

石上神宮には神殿はなく、ご神体は布都御魂剣とされています。
写真上の石門のしめ縄の奥は立ち入り禁止となっており、気になる場所です。

斎宮が実在したかどうかは議論が分かれますがかつて石上神宮には斎宮があったとされています。
崇峻天皇の妻布都姫は有名です。
斎宮のあった場所は出雲建雄神社の東側とされています。

石上神宮から北山辺の道へ向かう途中石の門があり立ち入り禁止となっていますが場所的にはこのあたりが出雲建雄神社の東側となります。

自家用車のお祓いに向かう神職。

柿本人麻呂の歌碑
未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者」(おとめらが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは)
意味は、『石上神宮境内に瑞垣(拝殿背後の禁足地の垣)が出来た昔から あなたのことを思っていました。』

鏡池
北山の辺の道に向かう入り口にあります。
この池にすむ”ワタカ”は別名”馬魚”ともよばれています。
由来は次のように言われています。

石上神宮鏡池馬魚の伝説:南北朝時代後醍醐天皇が吉野に逃れるとき、馬がいな鳴いて敵に見つかるのを怖れて首を切り落としました。
それが馬魚になったといわれています。
馬魚は天然記念物に指定されています。

案内によれば、鏡池には伝説の魚といわれる「ワタカ(コイ科の魚)」が棲息しているという。

鏡池のほとりから山の辺の道に続く。

天然記念物の東天紅(とうてんこう)も飼われています。
鶏は東天紅と烏骨鶏、それに白色レグポン?それとも雑種?

石灯籠に囲まれて鎮座していた牛の像。
その由来は不明ですが、鼻の部分に撫でられた形跡があります。
ちなみに、この奥手から山の辺の道が始まっています。

石上神宮へのアクセス、行き方歩き方

石上神宮公式サイト

住所:〒632-0014 天理市布留町384
電話:0743-62-0900

JR・近鉄天理駅から徒歩30分、タクシー10分
駅からの直線距離 2026m