明智光秀が再興に尽くした 西教寺

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光秀は、本能寺の変で主君織田信長を討ち、非道な逆賊のイメージが強い。
だが、領地の近江坂本周辺では、善政を敷き、教養に秀でた名君として、今も住民らに慕われている。

坂本城から移築されたという総門、堂々とした構えで、騎馬武者がくぐれる高さという。

総門前の石碑には「明智光秀公と一族の菩提寺」とあります。

昭和33年に大本坊を改築の際、「天正年中明智公所造之古木」と彫った古材が屋根裏から出てきた。
明智光秀公と妻煕子夫人の木像が安置されている、現大本坊は、昭和33年に完成されたものである。

元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き打ちによって西教寺が全焼、本堂・丈室・鐘楼・僧厨等が焼失した。

坂本城主となった明智光秀が、西教寺を菩提寺にしようとして、復興には特に心を用い大壇越となって、坂本城の陣屋を寄進して大本坊を再建した。

小説「細川ガラシャ夫人」は女流作家三浦綾子が昭和48年1月から2年5ケ月に亘って執筆。

初めての歴史小説。

この小説の中に「鉦の音」「縁」の中に光秀が坂本城主になってから、西教寺の不断念仏の鉦の鳴る本堂へ、妻煕子、末娘玉子(細川ガラシャ夫人)、左馬助光春(家臣)、郎党を連れての参詣の様子が描かれている。

坂本城主明智日向守光秀とその一族の墓。

忠義が重んじられた時代、逆賊である光秀を堂々と弔うことができず、一見、誰の墓かわからない形で伝えられてきたという。

本能寺の変のわずか11日後に敗死した光秀。

謀反の動機は様々に説かれるが、いまだ謎に包まれている。
信長を倒し、どのような天下を夢見たのだろうか。

近くに早逝した妻・熙子(ひろこ)の墓もひっそりとたたずむ。
側室をとらず、夫婦仲むずまじかったという光秀らしい。

芭蕉句碑「月さびよ明智が妻の咄せむ

作家の中島道子氏の『明智光秀の妻煕子』という小説の序文に次のように煕子夫人のことが書かれている。

人生を旅と心得、旅を求めてやまなかった芭蕉は、軍旅に敗死した武将への限りない哀惜を詠んでいる。
その中で唯一女性に対する句が異彩を放っている。明智光秀の妻である。

比較的近年まで、光秀は逆臣、叛将とのみ言われてきたにもかかわらず、封建体制下の江戸時代にあって、光秀の妻を顕彰したのは、まさに自由人芭蕉その人であった。

明智が妻の句は『奥の細道』の旅の途次、越前は丸岡に足を止めた折、耳にしたことを後、伊勢の門弟山田又玄の妻に贈ったものである。

月さびよ 明智が妻の 咄せよ 芭蕉
まさに、この一句に人生感(観)があらわれていると言えよう。

本能寺の変、山崎の合戦、坂本城の攻防と続く戦乱の中で、美濃国の妻木城城主でありました妻木藤右衛門廣忠の一族・郎党も討死していきました。

山崎の合戦の後、妻木一族が坂本城を守るために、多数の兵士とともに奮戦したのです。
しかし、秀吉の軍勢に敗れ、一族は自害したと言うのです。

廣忠は、天正10年6月14日、坂本城の落城後、明智一族に殉死した人々を西教寺に葬り、供養した後、同18日、煕子(廣忠の娘)の墓前で自刃したと伝わるのです。

明智光秀に嫁いだのは、妻木廣忠の娘・煕子でした。

鐘楼堂、陣鐘は、形状などから平安時代の作とみられ、光秀が坂本城の城門とともに寄進した。

長らく境内の鐘楼につるされ、撞(つ)くこともできたが、傷みが激しく昭和62年以降は収蔵庫で保管されている。

本坊にある光秀像。

光秀が「時は今 あめが下しる 五月かな」と発句すると、威徳院行祐の「水上まさる 庭の夏山」が続き、第三に里村紹巴が「花落つる 池の流を せきとめて」と詠んだといいます。

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西教寺へのアクセス、行き方歩き方

西教寺公式サイト

滋賀県大津市坂本5丁目13番1号
TEL:077-578-0013

JR湖西線『比叡山坂本』駅 下車、江若バス約7分(西教寺下車)、又は徒歩30分 ◎京阪電車『坂本』駅下車、江和バス約4分(西教寺下車)、又は徒歩25分