戦国の攻防を伝える美濃の名城 岐阜城

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岐阜城(ぎふじょう)は、岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山)にある山城跡。
織田信長が、斎藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営したものが岐阜城である。

標高 336mの金華山の頂上に聳える岐阜城、まるでプラモデルのよう。

ズームアップして見ます。

京都に対して東の要所に位置し、難攻不落の名城として知られているが、実際には歴史上7回の落城にあっている。

山頂部の平坦面は少なく、井戸も雨水を蓄えるもので、戦国時代末期の大人数による長期籠城戦には本質的に不向きであった。

織田信長時代には、山頂部には信長の家族や人質が暮らしていたことが、1569年(永禄12年)来岐した宣教師ルイス・フロイスの書簡から伺える。

登山道はありますが、ロープウェイ乗り場へ向かう。

ロープウェイ乗り場の前は桜が満開。

太陽に透かして見るときれいです。

岐阜公園と金華山の山頂を約3分で結ぶロープウェー。
四季の自然美と眼下の長良川の景観が楽しめます。

天下第一の門
大手道旧三の丸付近に復元された冠木門。
「天下」という言葉を好んだ信長にちなんで「天下第一の門」と名付けられた。

岐阜城の一の門は、上格子門とも呼ばれ、岐阜城の悲劇を象徴する不吉な門として、当時より恐れられていた。

岐阜城の怪・・・

それは、斉藤道三から織田秀信までの70年、10人の城主のうち、ただ一人、池田輝政を除く9人までが、敗死、自害、変死、憤死等々皆、非業の死を遂げていることを指す。

二の丸門跡
天守台にそびえ建つ天守閣の南西一段下に二の丸が築かれ、さらに一段下に二の丸門が建っていた。
周囲を石垣で高く積みあげ、守りを固めている。

木下藤吉郎と千成瓢箪
永禄10年(1567)8月14日、木下藤吉郎(のちに羽柴秀吉、豊臣秀吉と改称)は蜂須賀小六や山麓の猟師堀尾茂助など僅か7名を従えて、岩戸口から稲葉山城のここまで潜入し、薪小屋に火を放って手柄をたてたと伝えられている。

この時、藤吉郎は城兵を倒した鎗先に腰から下げていた瓢箪を結び付け、鎗を振り回しながら大音声で勝鬨をあげたという。

以来、千成瓢箪発祥の地とされている。

題目塚
二の丸門跡近くに建つ題目塚。

斉藤道三から織田秀信まで、いくたびかの戦いで死んでいった人々の霊をなぐさめるために建てられたといわれている。

二の丸から天守を望む。

山の上は桜はまだ。

お城時計
大名時計・和時計ともいう。

西洋の機械時計が日本に入ったのは、フランシスコ・ザビエルが周防国(現在の山口県)の大内氏に献上したのが最初である。

当時の時計は壁掛け式であり、操作も複雑であつた。
このため日本の時計師は工夫と改良を重ね、日本独自の十二支を目盛りとする櫓時計を作りあげ、その精密さは世界一であった。

1872年(明治5)11月太陰暦が太陽暦に改められ、和時計は製作されなくなった。
岐阜城では、お城の時計と称された江戸時代前期の大型櫓時計を所蔵・展示している。

天守からの眺望、長良川が蛇行しながら岐阜市内を流れる。

少し先へ目をやると木曽川の流れが望まれる。

遥か南に高さ138メートルの美しい2つのアーチを持つ展望タワー「ツインアーチ138」を望む。

城の北側には野球場などの競技施設が。

岐阜城は小牧城、安土城と同じく、城下町を見下ろす景観に優れる。
つまり合戦のための城でなく、基本的に城主の居住空間であり、見せる城であった。

二の丸東側の本丸井戸。
岐阜城には4ヵ所の井戸があるが、湧水の井戸はひとつもなく、雨水や岩の間からしみ出る水を溜めていた。

長期籠城を想定するときわめて不利である。

この三重塔は、大正天皇即位の記念事業で岐阜市が大正5年に建設したもの。

岐阜城のある岐阜公園内に山内一豊と千代婚礼の地のモニュメントがあります。

平成18(2006)年の大河ドラマ「功名が辻」にちなんで建てられた。
永禄10(1567)年、一豊は信長の家来として岐阜に移り、岐阜城に居を構え千代と結婚しました。

岐阜公園内にある「信長の庭」と呼ばれる庭。

庭には桜が咲き誇る。

板垣退助の銅像
板垣退助が自由党党首として全国遊説中の1882年4月6日、当時この場所にあった中教院で暴漢に襲われた岐阜事件を史実として残すため有志が建設したもの。

信長居館跡
永禄十年(1567)織田信長は、稲葉山城主・斎藤龍興を追放し、「井口」から「岐阜」に名を改め、金華山山頂に岐阜城を修築して天下統一への拠点とした。

金華山の西麓にあたるこの辺りには人工的な2から3段のテラス状地形があり、最上段を千畳敷、中段以下の大部分を千畳敷下という。

ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスがその著書の中で壮麗なものとして紹介した信長の居館跡といわれる。

岐阜城へのアクセス、行き方歩き方

住所:岐阜県岐阜市金華山天守閣18
電話:058-263-4853

JR東海道本線、岐阜駅または名鉄岐阜駅下車、長良川線バス15分「岐阜公園」または「歴史博物館前」降車、徒歩3分で信長公居館跡。
信長公居館跡の隣りに乗り場があるロープウェイで山頂へ。